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コリー・ウェルズ

2024-11-07 12:25:57 | vocal

コリー・ウェルズ Cory Wells


 【出生名】
   エミル・レヴァンドフスキ/Emil Lewandowski

 【パート】

   ヴォーカル、ギター、ハーモニカ 

 【生没年月日】
   1941年2月5日~2015年10月20日(74歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国ニューヨーク州バファロー

 【経 歴】
   ジ・エネミーズ/The Enemys(1965~1966)
   コリー・ウェルズ・ブルース・バンド/Cory Wells Blues Band(1967)
   レッドウッド/Redwood(1968)
   スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night(1968~1976、1981~2015)


 コリー・ウェルズは、スリー・ドッグ・ナイトの創設メンバーで、リード・シンガーのひとりである。

 ウェルズは婚外子として生まれた。実父は母以外の女性と結婚しており、ウェルズが幼い頃に死去している。
 出生名はエミル・レヴァンドフスキ。これは母の姓を受け継いだものである。
 エミルは子どもの頃から音楽が好きで、ゴスペルやブルース、ソウル・ミュージックにのめりこんでいた。
 彼が育った家庭は貧しく、養父からは虐待を受けていた。過酷な環境の中にいたエミルは、高校を中退して空軍に入隊する。
 エミルは空軍ではバンドを結成して音楽活動を始めており、除隊後はバファローに戻って「ヴィブラートス」というバンドに参加。ヴィブラートスは音楽界での成功を目指し、「ジ・エネミーズ」と改名してカリフォルニアに移る。
 エネミーズはロサンゼルス、サンディエゴ、サクラメント、ラスヴェガスのクラブで演奏を始め、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーのハウス・バンドとなった。彼らは1965年から1966年にかけて4枚のシングル・レコードをリリースしたほか、いくつかのテレビ番組のほか、ポール・ニューマン主演の映画「動く標的」に出演している。
 この時期からステージ・ネームとして「コリー・ウェルズ」と名乗るようになる。これはエネミーズのマネージャー、ジーン・ジェイコブスからの提案である。ウェルズは実父の姓「ウェルズリー」を短く縮めたものであり、「コリー」はジェイコブスの息子の名前であった。
 
 この頃、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーでエネミーズのステージを観たシェールは、たちまちウェルズの歌に惚れ込む。シェールに声をかけられたウェルズは、これがきっかけで
ソニー&シェールのツアーに参加することになったが、そのツアーで前座を務めていたのが、のちにスリー・ドッグ・ナイトで苦楽をともにするダニー・ハットンであった。ウェルズとハットンはさっそく意気投合する。

 1967年、ウェルズはフェニックスに移り、「コリー・ウェルズ・ブルース・バンド」を結成する。このバンドのベーシストがのちスリー・ドッグ・ナイトでバンドメイトとなるジョー・シャーミーであった。
 ウェルズは1968年にハリウッドに戻り、ダニー・ハットンとのセッションを開始。この時に、ハットンのシングル・レコードにバッキング・ヴォーカルで参加したことのあるチャック・ネグロンを仲間に引き込む。
 ウェルズ、ハットン、ネグロンの3人は、1968年に新たなグループを結成し、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の提案でグループ名を「レッドウッド」とした。レッドウッドはデビューを目指し、ブライアン・ウィルソンのプロデュースで同年「Time to Get Alone」と「Darlin'」の2曲を録音したが、マイク・ラヴ(ビーチ・ボーイズ)は「Time to Get Alone」をビーチ・ボーイズのアルバムに収録したかったため、レッドウッドの音源はお蔵入りすることになり、デビューには至らなかった。
 レッドウッドは現状を打開するべく、改めてバンドとして活動することを決め、以前から交流のあったジム・グリーンスプーン(keyboard)、ロン・モーガン(guitar)、ジョー・シャーミー(bass)、フロイド・スニード(drums)に声をかけた。(モーガンはファースト・アルバムの録音前に脱退し、代わりにマイケル・オールサップが加入)
 こうしてヴォーカリスト3人とインストゥルメンタリスト4人というユニークな編成のバンドが誕生した。このバンドは「スリー・ドッグ・ナイト」と名付けられた。

 1968年5月、スリー・ドッグ・ナイトはハリウッドの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」でデビューする。ロサンゼルス周辺のライヴ活動で手ごたえを掴んだバンドは、トルバドールでのライヴのあとダンヒル・レコードと契約を交わし、1968年10月に「ワン」でアルバム・デビューを果たした。
 1968年11月にリリースしたデビュー・
シングル「ノーバディ」は、ビルボードのシングル・チャートで116位に終わったが、続く「トライ・ア・リトル・テンダーネス」はビルボード29位のスマッシュ・ヒットを記録した。この曲はオーティス・レディングのヴァージョンを踏襲しているが、リード・シンガーを務めているウェルズがオーティスに勝るとも劣らない熱唱を繰り広げている。ちなみに、オーティスはウェルズのアイドルであった。
 1969年4月、サード・シングル「ワン」がリリースされたが、これがビルボード最高位5位を記録し、スリー・ドッグ・ナイトはブレイクする。デビュー・アルバムもビルボード・アルバム・チャートで11位まで上昇してゴールド・ディスクを獲得し、スリー・ドッグ・ナイトはデビューからわずか1年で成功を収めたのである。



左から チャック・ネグロン ダニー・ハットン コリー・ウェルズ


 スリー・ドッグ・ナイトは、隠れた名曲を取り上げて大ヒットにつなげることが多かった。彼らのレコーディング曲は、ウェルズ、ハットン、ネグロンの3人による合議多数決で決めていたという。
 ウェルズの歌声は野性味にあふれ、その歌にはブルージーかつソウルフルな魅力があふれている。彼がリード・ヴォーカルを務めた曲は「トライ・ア・リトル・テンダーネス」「イーライズ・カミング」「ママ・トールド・ミー」「シャンバラ」「ネヴァー・ビーン・トゥ・スペイン」「愛のセレナーデ」などが挙げられる。
 「ママ・トールド・ミー」はスリー・ドッグ・ナイトにとってビルボード1位を獲得した初めての曲である。この曲の大ヒットによって、作者のランディ・ニューマンが「子供たちを大学に行かせてくれてありがとう」と電話をかけてきたという。

 スリー・ドッグ・ナイトは、その後も「イージー・トゥ・ビー・ハード」「イーライズ・カミング」「喜びの世界」「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」「ブラック・アンド・ホワイト」などヒット曲を連発し、1970年代のアメリカン・ロックを代表する人気バンドに成長した。
 しかし1975年にダニー・ハットン、フロイド・スニード、マイケル・オルサップが脱退するとバンドの勢いは急速に失われ、1976年に解散した。
 スリー・ドッグ・ナイトは1968年から1975年までの間にシングル・レコード23枚をリリースし、「ママ・トールド・ミー」「喜びの世界」「ブラック・アンド・ホワイト」の3曲の全米1位を生んだ。そしてその3曲を含めた21曲が全米トップ40入りしている。

 スリー・ドッグ・ナイト解散後のウェルズはソロ活動を始め、A&Mレコードと契約して1978年春にファースト・ソロ・アルバム「タッチ・ミー」をリリースする。翌年制作したセカンド・ソロ・アルバム「アヘッド・オブ・ザ・ストーム」は発表されることなくお蔵入りしたが、2002年になってリリースされた。
 1981年にはスリー・ドッグ・ナイト再結成に尽力し、その後終生にわたってメンバーとして在籍した。
 1985年、人間関係が原因でチャック・ネグロンが脱退するが、その後はウェルズとハットンが中心になってマイク・オールサップやジミー・グリーンスプーンらを含むメンバーとともにスリー・ドッグ・ナイトを維持、定期的にツアーを行うなど活動を続けた。
 2015年3月11日、転移性黒色腫のためグリーンスプーンが死去したが、ウェルズも激しい背中の痛みのためこの年9月に活動を中断する。血液ガンの一種である多発性骨髄腫と診断されたウェルズは治療を続けていたが、グリーンスプーンの死から約7ヵ月後の10月20日、ニューヨーク州ダンケルクのブルックス記念病院で睡眠中に死去した。74歳だった。
 スリー・ドッグ・ナイトは、年内の公演をすべてキャンセルしてウェルズの死を悼んだ。

 ウェルズは当時の他の多くのミュージシャンとは違い、アルコールや薬物をきっぱり断っていた。そしてスターになって大金を手にしても、浪費することなく質素に暮らしていたという。マリー夫人とは50年連れ添い、2人の娘と5人の孫に恵まれた。





【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ>
  1978年 タッチ・ミー/Touch Me UK210位
  2002年 アヘッド・オブ・ザ・ストーム/Ahead of the Storm ※録音1978年

 <スリー・ドッグ・ナイト>

  1969年 ワン/Three Dog Night US11位
  1969年 融合/Suitale for Framing US16位
 ☆1970年 白熱のライヴ/Captured Live at the Forum US6位
  1970年 イット・エイント・イージー/It Ain't Easy US8位
 ★1971年 ゴールデン・ビスケッツ~スリー・ドッグ・ナイト・アーリー・ヒッツ/Golden Bisquits US5位
  1971年 ナチュラリー/Naturally US14位
  1971年 ハーモニー/Harmony US8位
  1972年 セヴン・セパレート・フールズ/Seven Separate Fools US6位
 ☆1973年 アラウンド・ザ・ワールド/Around the World with Three Dog Night US18位
  1973年 サイアン/Cyan US26位
  1974年 ハード・レイバー/Hard Labor US20位
 ★1974年 喜びの世界/Joy to the World : Their Greatest Hits US15位
  1975年 カミング・ダウン・ユア・ウェイ/Coming Down Your Way US70位
  1976年 アメリカ回顧録/American Pastime US123位
  1983年 It's a Jungle US210位
 ☆1988年 Three Dog Night : Live
 ★1993年 セレブレイト~スリー・ドッグ・ナイト・ストーリー-Celebrate:The Three Dog Night Story, 1965-1975
 ★1999年 20th Century Masters - The Millennium Collction:The Best of Three Dog Night US109位
  2002年 Three Dog Night with the London Symphony Orchestra
 ★2002年 ジョイ・トゥ・ザ・ワールド~ベスト・オブ・スリー・ドッグ・ナイト/Joy to the World -The Best of Three Dog Night
 ★2004年 The Complete Hit Singles US178位
☆★2007年 Super Hits Live
☆★2008年 Three Dog Night : Greatest Hits Live


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