東濃IFR

ACARS,グライダー、航空機

これが本当の三度目の正直

2014年11月23日 22時18分14秒 | 家族
 世間は三連休、しかも天気がいいということで…
 しかも今日は岐阜基地航空祭。
 朝食中に親戚からお袋の携帯に電話がかかってきて「▲▲(本名)が聞いたら羨ましがるところにいる」と言ったそうな。
 おじいちゃん、子供3人にそのお母さんの5人で初航空祭参戦。いいな~。

 ヨメの状況が安定していれば許可が出ていたのだが、先月中旬の状態で危なそうだったので今回は見送り。
 それに会社のこともあるのであまり出歩けないということもある。

 昨夜はあんなことも有り今日は少し寝坊する。
 資源回収があったのだがじいちゃんがやってくれて感謝。

 朝食中に今日の動きを確認。
 自分の事が終わり次第、娘を連れてヨメのところへ行くことにした。



自分が高いところのモップ掛けをしていると下で娘が床用モップで掃除。


9:52 JL B72  ベランダで少し風に当たっていたら娘が「ひこうきぐも!」と言って指さす。


 お見舞いへ出かける前に娘に「今日はお母さんとバイバイするときに泣かない?」と聞くと「泣かない!」と力強い返事。
 昨日はお母さんと別れる際に仕切りのカーテンをくぐった時点で泣き始めたとか。
 
 今日は特に何も予定が無いので時間の許す限りお母さんと一緒にいる。
 だんだんベッド周りに慣れ、置いてあるものに興味を持ち色々手に取る。
 そろそろ帰ろうか、と声をかけると「クツ履く」と言って足を出す。
 そしてバイバイタッチをしてカーテンから出たところからへの字口。
 病室を出る頃には少し声が漏れ始め、ナースステーション近くになると「えっえっ」と嗚咽を始める。
 その声を聞いてビックリした助産師さんが出てくるが状況を見て微笑む。
 そして病室が見えなくなった頃、とうとう本格的に泣いてしまった。
 しかし、昨日と比べると距離が伸びた。
 車に乗ってからもすぐに泣き止み、自分の置かれた状況が分かってきているようだ。


 昼食後、会社に行きがてら某所の偵察へ。
 昨日の受信機リストを見ると気になる機体を受信していた。
 しかし、それがどこに行ったのかまでは把握できていないのだった。
 週間天気を見ると週の半ばは下り坂。
 雨が降る前に少しでも作業を進めようとするなら祝祭日関係無しにやるだろうと予想しての行動。

 行楽客の多い国道を走り、某所への分岐点の交差点で赤信号で止まる。
 その方角を見ると材木を吊ったヘリをインサイトした。
 周りは紅葉狩りの人ばかりだが自分はヘリ。
 紅葉には目もくれず、ヘリを長玉で追う光景は異様だったかもしれない。



ようやく会えた1号機。


相変わらずロングですなぁ。


山の上の方で材木を吊り上げ一気に降りてくる。


土場から切出し場へ。


橋の工事場所から約5分歩いたところで撮影。160mm


JA6184 KAMAN K-1200 K-MAX アカギヘリコプター  500mm換算800mm  これで目一杯か。


 橋の工事の人から橋の通行許可をもらったが嫌な予感がしたのでRTB。
 会社へ行く前にヨメの所に寄る。
 するとお腹が痛いらしく、ふぅふぅ言っている。
 時計を見ると15時。
 モニターは14時半からつけており、14時頃から痛みが来た とヨメが話す。
 お腹の張りがあるにもかかわらずグラフにはでてこない。
 大体7分間隔で痛みもあるというが、昨日と同じような痛みと言う。
 娘のオムツが無いから買ってきて、ということでドラッグストアのポイントカードを受け取り15時20分頃お店に向かう。
 15時34分、ヨメから電話がかかってくる。状況が進行しており分娩室に入るとのことだった。
 とりあえず2袋でもオムツを買っておかないと困るので買ってすぐに病院へ向かう。
 自分が分娩室に入ったのが16時02分。赤ちゃんの泣き声がするからまさか、と思ったらそのまさかですでに生まれていた orz
 


15時57分生まれ 2478グラムの元気な女の子です。


 今回も第一子同様ドタバタだったようで、
 14時   お腹が痛み始める(陣痛)
 15時30分 モニターをを外しに助産師がベッドに来る。
       モニターでは張りがはっきりと確認できなかったが、痛みの状況から診察することに。
       診察したところ、出口が8センチに開いており破水する寸前。
   34分 自分に電話連絡
   36分 分娩台に座る
   57分 出産

 急な状況だったため、1チーム3人態勢のところを2チーム投入。
 今回も「手術着を着る間、待って~!」と助産師が言ったとか言わないとか。
 陣痛から出産まで1時間57分のスピード出産。
 第一子より1時間短くなった。

 週数が足りないことと重さも足りないこと、そして血糖値が低すぎたことも有りこのまま小児科へ入院という形になった。
 ヨメは至って元気で分娩室での休憩後に夕食をしっかり食べれていた。
 
 とりあえず母子共に健康そうで一安心。
 関係者の皆様、お手数おかけしました。
コメント (6)
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フライング2回(17日~22日)

2014年11月23日 02時15分01秒 | 家族
 今週は非常に大変だった。仕事ではなく、私事で…。


17日
朝からバタバタ。
自分の仕事より他の仕事が回ってきてそちらをこなすのにいっぱい。
明日の午前中は休むつもりだから仕事は残さないようにする。



10:04 GK180 JA18JJ FL150  久しぶりに見た気がする。


12:07 NH704 JA8400 FL150  同じA320でもウイングレットとチップでは見栄えが違う。 


12:14 #72 C-130H  2周回ってから木曽方面へ。


12:34 JA6412 Bell412EP 新日本ヘリコプター  この頃よく通るな。




18日
この日の詳細はこちら参照。


これだけ救急車が集まることもないね。




19日
アトピーの塗り薬が1週間くらい前に切れ、仕事の合間を縫っていくことにする。


10:16 JA3884 T206G 北海道航空  まだ航測やってるんだ。


10:23 JA6051 AS350B3 中日本航空  山梨方面へ


 仕事がある程度片付いたので病院へ行くため外出。
 いつもの病院の駐車場に着いたとき、お袋から電話がかかってくる。
 まさかと思い電話に出ると予想通り、ヨメがお腹が痛いと言い始めたとのことだった。
 すぐさま家に向かい、ヨメを病院へ送る。
 自分が家に向かっている間にヨメが病院へ一報。
 病院の産婦人科に無事送り届け、時計を見るともうお昼。
 もしかしたらの長丁場に備えてお昼ご飯を食べる。


12:09 C-130 USAF  珍しく3機編隊のC-130が飛んでいると思い見てみるとこれ。


12:17 AY80 OH-LTR FL250  久しぶりに離陸の機体を見るな。


 昼ご飯を済ませて再び産婦人科へ。
 外待合でヨメと待っていると助産師さんが車椅子を持ってやって来て中へ入る。
 ヨメ以外にも切迫している人がいるんだ、と思っていたらすぐに助産師さんが出てきて
 「○○さん?じゃ、これに座って。」
 ヨメのお迎えでした。

 その後診察するとすでに出口は3センチほどに開いており、しかも柔らかい状態だったため出産準備室へ。
 さらに1時間後に診察すると出口は5センチに開いており助産師さんは臨戦態勢で分娩室へ誘導される。
 娘が生まれたときは陣痛から約3時間のスピード出産。しっかりカルテを見られたようだ。
 


痛みはあるが我慢できないほどでは無いらしい。


データを見る限りでは3分おきにお腹の張りがある。


 段々お腹が痛くなって本格的な陣痛を迎えるかと思いきや、お腹の痛みが少なくなり、お腹の張りも間隔が開いてきた。
 そして落ち着いてしまったのだった。
 しかし、出口はすでに開いている状態で破水してないだけで危険な状態は変わらない。
 そのためこの日から入院となったのだった。

 娘はお母さんが入院と告げられるとわかったのか、寝る寸前までは泣かずにがんばった。
 しかし、いざ寝る瞬間になったときにとうとう「おかあさ~ん!」と泣き始めた。
 ばあちゃんがあやしてくれ、なんとか寝た。
 この日は夜中も起きず朝までぐっすり寝てくれたのだった。
 


20日
朝一で昨日行けなかった自分の病院へ行く。
しかし、相変わらず待ち時間が長いためちょっと外出。


JA6200 KAMAN K-1200 K-MAX  アカギヘリコプター   渓谷場外ではいつの間にか作業が再開されていた。


 診察等も終わり、薬ももらうとすでにお昼近く。
 ヨメは一般病室に移ったのでそちらへ向かう。
 前夜の娘の様子を話し、「今日はどうかな」と気にしていた。

 この日は夜寝る寸前に少し泣いたくらいですぐに寝たのだった。



21日
朝5時半頃に娘の泣き声で起きる。
やはりお母さんがいないのが悲しい。

今日はお袋が病院へ月一の検診へじいちゃんと行く。
自分は娘と留守番だ。



9:50 U-125  北へ


 娘が外遊びに飽きて来た頃に「お母さんのお見舞いに行こうか」と声をかけるとそれまで出していたおもちゃやお茶の実を綺麗に片付け準備する。
 自分もヨメから聞いていた欲しいものを準備して持っていく。
 お袋とじいちゃんも検診が終わったようだったので面談室で待ち合わせ。
 先に着いた自分と娘、お母さんを見た瞬間に少し恥ずかしそうにした後、患者識別タグや寝間着を見て怪訝そうな顔をしていた。
 その後はお母さんにべったり。別れがつらいだろうな、と思いつつ好きにさせる。

 面会も終わり、ヨメがエレベーターホールまで見送りに来る。
 エレベーターを降り、一目散で外へ向かって走っていく娘。
 ヨメはそのままエレベーターに乗って自室の階へ向かった。
 娘が振り向いたときにはお母さんはいない。そして火がついたように泣き始めたのだった。

 結局15分ほど泣いていたが、「お母さんが帰ってくるまでお父さんと一緒にがんばろうね」と諭すと泣き止み、そのまま車に揺られて寝てしまった。
 車から降りる際にも少し泣いたが復活。外遊びの続きを始めた。


折畳み椅子を持ってきてそれに座る。


 午後からは仕事。
 相変わらず色々ドタバタだ。



15:03 CI B44F


 娘は寝る寸前に少しぐずったがおとなしく寝る。
 このまま朝まで…と思ったが1時20分頃に泣き始め、どうあやしても泣き止まない。
 声を聞きつけたお袋が迎えに来てくれ、娘はお袋と一緒に寝たのだった。
 やっぱり女性には敵わないなぁ。


22日
お袋が色々と娘のことをやってくれるため申し訳ないやらありがたいやら。
今日はもう初めからお袋と寝るようだ。
とりあえず、自分は日曜日にきっちり休めるように仕事を片付ける。



10:55 JA6717 AS332L1 中日本航空  南木曽の現場が終わったのかな?小牧へ。


 20時過ぎにようやくデータが出揃い加工開始。
 そして半頃にヨメからメールが来る。
 お休みメールだろうと思いつつメールを開くと「陣痛」と件名。
 加工が終わってからすぐに病院へ駆けつける。
 すでにヨメは分娩室に入っていた。今回も万が一の対応だ。



前回とは違う痛みのようで、張りの間隔も短い。


 このまま痛みが強くなるのかな?と話していたとき、マナーモードのはずの携帯からアラーム音がする。
 見ると緊急地震速報。身構えていると揺れがやって来る。と言っても震度2~3程度だった。
 すぐに助産師が飛んできて状態を確認。大丈夫なことが確認できたところで他の患者さんの確認へ。

 そしてヨメは…張りの間隔がどんどん伸び、張りもそれほど強くなくなっていく。
 痛みも引いてきたようで、「なんでやねん」とお腹にツッコミ。

 こちらもSNSで蒼い鳩さんの無事が確認できて安心できた。


 結局今回も引っ込んでしまい、ヨメは準備室で寝ることになったのでした。


 さて、二度あることは三度、となるか三度目の正直となるのか…。
コメント (2)
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