沖縄関連の楽曲は、この曲が最初のものである。きっかけは1990年、沖縄県浦添市で開かれた「わらべうたコンサート」に演奏者として参加したことである。沖縄のわらべうたと宮良長包(沖縄のフォスターと呼ばれる作曲家)の唱歌をソプラノ歌手が小オーケストラ伴奏で歌うのであるが、まず内地日本の感覚では「わらべうた」でコンサートが成り立つこと自体が、非常に珍しく感ぜられる。本土では成立しないかもしれない。ところが沖縄では立派に成立するどころか、最後には聴衆全員が大声で斉唱する感動的な一夜になるのである。
その感動をさらに高めたのが、当夜の編曲であった。編曲者は琉球大学の当時助教授であった中村 透先生である。この編曲の素晴らしさに耳を奪われた。と同時に、手法を大いに学んだ。琉球音階は西洋音階のド-ミ-ファ-ソ-シに近い。そうすると長三和音、いわゆるドミソを沖縄民謡と同時に鳴らしても、あまり違和感がない。その長三和音や長七の和音を堂々と使っているところが、すばらしいと思った。
「この手法を使えば自分にもできるかもしれない。自分でも作ってみたい」と思って作ったのがこの「みみぐすい」である。「みみぐすい」は「耳薬」で良い音楽や良い話のことを指す。
この曲には自作の主題三つの他に五つの沖縄のわらべうた(花ぬ風車、てぃんさぐぬ花、べーべーぬ草、じんじん、えんどうの花)が織り込まれている。10分の作品にしては、この数はかなり多い。それは統一感を欠いたものになりやすい危惧はあるのだが、非西欧型の手法として、私なりの一つの提示もしたかったのである。
お陰さまでこの曲は、1991年琉球放送主催創作芸術祭にて芸術大賞を受賞した。井財野友人20代最後の作品、エポックメイキングな曲であるのだが、今考えると,冨田勲の「勝海舟」の影響が濃かったりして若気の到りをも感じさせ、気恥ずかしいことおびただしくもある。
その感動をさらに高めたのが、当夜の編曲であった。編曲者は琉球大学の当時助教授であった中村 透先生である。この編曲の素晴らしさに耳を奪われた。と同時に、手法を大いに学んだ。琉球音階は西洋音階のド-ミ-ファ-ソ-シに近い。そうすると長三和音、いわゆるドミソを沖縄民謡と同時に鳴らしても、あまり違和感がない。その長三和音や長七の和音を堂々と使っているところが、すばらしいと思った。
「この手法を使えば自分にもできるかもしれない。自分でも作ってみたい」と思って作ったのがこの「みみぐすい」である。「みみぐすい」は「耳薬」で良い音楽や良い話のことを指す。
この曲には自作の主題三つの他に五つの沖縄のわらべうた(花ぬ風車、てぃんさぐぬ花、べーべーぬ草、じんじん、えんどうの花)が織り込まれている。10分の作品にしては、この数はかなり多い。それは統一感を欠いたものになりやすい危惧はあるのだが、非西欧型の手法として、私なりの一つの提示もしたかったのである。
お陰さまでこの曲は、1991年琉球放送主催創作芸術祭にて芸術大賞を受賞した。井財野友人20代最後の作品、エポックメイキングな曲であるのだが、今考えると,冨田勲の「勝海舟」の影響が濃かったりして若気の到りをも感じさせ、気恥ずかしいことおびただしくもある。
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