井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ルグランの師、ブーランジェ

2018-05-18 07:46:00 | 音楽
ミシェル・ルグランからは音楽上の母とまで呼ばれたナディア・ブーランジェ、今度はこちらの伝記を読んでみた。

こちらはこちらで、ものすごい実力と業績なのだが、その割には名前が一般に知れ渡っていないように思う。

その昔「ある愛の詩」という映画が大ヒットした。そこにも軽くナディア・ブーランジェが登場している。主人公の女の子がブーランジェ奨学金を得て留学する資格を持つのだが、それを放り出して男のもとに行くという大馬鹿者の物語である。

それでも何故知名度が落ちるのか。これは、一番の業績が教育活動であることと、多く育ったのが、なぜかアメリカ人の作曲家だったという事情があるだろう。

コープランドはともかくピストンやカーペンターなど、なかなか耳にしない。学生時代、先輩達の授業のオーケストラがロイ・ハリスの交響曲第3番を練習していて、自分もいつか弾ける日が来るのかなと、内心ワクワクしながらその日を待っていたのだが、弾くどころか聞く機会さえ、未だにない。

だから「ピアソラに『タンゴを作れ』とアドバイスした人」と説明するほかないのだが、本を読むとオリビエ・メシアンにも指導したことがあるそうだ。

それどころか、当時の大音楽家の名前が次々と出てくる。ラヴェルの手紙というのがあって、「ガーシュインという男が弟子入りしたいとやってきたなだけれど、彼の才能を潰しそうだから断った。そのうちそちらにも来ると思うから」などと書いてあるようだ。

そのくらいラヴェルと親しいけれど、ルグランには「どちらかが後世に残るとすればドビュッシーです」と、言ってのけたという。

そして、心底評価が高いのはストラヴィンスキーだった。
そうなんだよね、ストラヴィンスキー存命中は美術のピカソ、音楽のストラヴィンスキーという扱いだった。

しかし、ストラヴィンスキーに対するブーランジェの評価は、三大バレエ曲が中心のような感じを受けたし、それならば大いに納得だ。

新しい手法を積極的に研究し、その結果、それを受け入れられないこともある、という姿勢は、私の理想とするところでもある。

そして、ブーランジェが受け入れられなかったものは、やはり音楽として完成度が低いのでは、と思わずにはいられない。

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