長崎県の北部と佐賀県の北部を、昔は「松浦」と呼んでいたそうだ。魏志倭人伝に出てくる「末廬國」との関係も取りざたされる、由緒ある地名である。
佐賀県の伊万里市の隣に長崎県の松浦市がある。その昔の松浦党(海賊?)の本拠地。先月、元寇の沈没船が引き上げられた鷹島も近い。いろいろと入り組んだ地形で、風光明媚な土地柄だ。
そこに長崎県立松浦高等学校がある。そこに赴任した音楽の中武先生はかれこれ十年以上のお付き合いのあるテノール歌手だが、その先生から以下のお話をいただいたのは去年のこと。曰く、創立50周年の式典でベートーヴェンの第九の4楽章を全校生徒で歌うのだけれど、ついては、その指揮をしてもらえないか、とのこと。生徒さんは一年半かけて練習するという。
ちょうど「長崎県障害者芸術祭」の一環として、第九の4楽章の指揮をしていた頃のことだ。障害者用のパートを作って、第九の合唱に参加させる企画である。それでも何とか成功させたのだから、健常者のみの合唱ならば、そう大変なこともなかろう、とそれ以上深くも考えず、引き受けたのであった。
加えて、ここでも書いた「平均年齢72才の合唱団」、これも最終的にはうまくいったのだから、高校生ならば全く大丈夫、と考えて意気揚々と松浦高校を訪ねたのが10月初旬。そこで私の考えが全く間違っていたのを思い知らされた。
最初の練習でマイッタのは、指揮の合図で歌うということが全くできなかったこと。
それまで一年半は、カラオケCDで練習していたのだそうだ。(東京フィルハーモニーが演奏した第九のカラオケを使っていた。)CDだとタイミングが合っていてもいなくても関係なしに音楽は進むからなぁ。
特に女の子達が、恥ずかしさもあってか、なかなか声が出なかった。一方、男声は蛮声だが、まぁとにかく大きな声の出ること。これは頼もしかった。
が、指揮に合わせてもらうことは絶対必要、これには回数をこなして、とにかくできるようになってもらわなければならない。十日後にまた訪れることにした。
二回目の練習、女の子達は声が出るようになった。なのに今度は男声が元気ない。指揮に合わせることは少しできるようになってきたが、今度は、見ていないと声を出さない。女声の入りの合図を女声方向に出すと、男声は歌うのを止めてしまう。音符書いてあるでしょ、休符じゃないんですけれど・・・。
三回目の練習は本番の四日前。式典の会場設営が進み、本番で使うヒナ段もできあがっていた。そこに生徒達が立つ。本番のイメージにグッと近づいてきたのを生徒達も肌で感じたようだ。声は俄然出るようになり、合唱が一つにまとまり始めた。
しかし、例えばクレッシェンドはほとんどできない。音が上に上がった途端にフォルテになるのである。この期に及んで考えれば、これはこれで良しとする音楽作りにしなければならない。クレッシェンドが音楽の本質ではないのだから。
オーケストラ(佐世保市民管弦楽団)にある程度、音楽を作ってもらうことだろうな、と思った。が、オーケストラとは一回も練習をしていないのである。オーケストラ側の独自の練習はしているのだが、全メンバーが集まるのは本番前日のみだ。ちょっとばかり不安になってきたが・・・。
(次に続く)
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