昭和の御代、食堂、家庭の食卓には必ず醤油、塩、そしてウスターソースが置いてあったものだ。寝台列車の食堂車にも置いてあったような気がする。ドレッシングなどというシャレたものがなかった時代、千切りキャベツには必ずウスターソースをかけて食べたものだ。
このウスターソース、数多の野菜が原料になっているとのこと。そのお陰で「確実に美味しい」はずだとテレビで説明されていた。
その通り、実に美味しい。最近は、昔の懐かしさを味わうためにキャベツにソースを時々試している。一時代を築いた調味料だけのことはある。賞味期限切れも何のその・・・。
ところで、この「ウスター」とはイギリスの地名でWorcesterからきている。
イギリスのウスターソースと日本のもの、実際には結構違うソースらしい。
Worcester! これをウスターって読む!?
ロンドンにはレスター・スクウェアという場所があるけれど、これもLeicester Squareと綴る。
推測だが、大昔はレイセスターとか何とかと呼ばれていたのだろう。それが、呼び名だけ短くなっていったのではないか。そのぐらいのことならば、どの言語でもあることで、驚くにはいたらない。
問題は「綴りと発音を一致させる」という、他国では当たり前のことを、やれなかった言語であるということ。
他国は軒並み「正書法」というものを持っている。会議を開いて、自分たちの国語はこのように綴る、と決めるのだ。
実は、イギリスも何百年か前にやったらしい。その会議が紛糾してまとまらず、結果、この野放図な綴りのまま今日に至っている。
綴りが問題な上に、英語の語彙の半分はフランス語である。これは、他のヨーロッパ語からすると結構奇異な印象を持つ。かつてフランスが占領してきた時の遺物なのだそうだが、ここまで大量に残るとなると、その造語能力を疑ってしまう。
このような次第で、ここまでおんぼろな言語はそうないと思うのだが、その後のイギリス、そしてアメリカが世界を制覇してしまったお陰で、世界一の大言語になってしまったのは、皆さん承知の通り。
しかし、そろそろアメリカの時代も終わってきているし、それに合わせて英語を共通言語に仕立てあげるのも終わったら良いのにと思うのだが、我が国の政府は、まだ英語教育を国民に普及させようとしている。
そのようなニュースを聞く度に、私はうんざりしてしまう。
日本国民は、かなりのエネルギーを使って英語を学んできた。
「なのに、話せない」などと言うなかれ!
話せないのは、その必然性が弱いからだ。なぜならば日本は大国だからである。話せなくても充分暮らしていける。
フィリピンやシンガポール、あるいは台湾、韓国であっても日本に比べれば小国。小国の国民は話せた方が確実に良い生活をおくれるから、それは必死になって当然である。
ただ、もちろん外国語の学習は、自国を知る上でも大変有益だからやるべきだ。それに異論はない。そして「やっている」。
それで、外国語学習をこれ以上やるのに、このおんぼろな言語を学習するよりは他言語の方が良いと思う。
そしてさらに付け加えるならば、日本政府には国民に英語をさせるのではなくて、東南アジアを中心に「日本語を普及する活動」に力を注いでほしいものだ。
日本語は文字も3種類あり、漢字の読み方も何通りもあったりする。それでも、20世紀半ばにばっさり捨てたものもあるのだ。例えば薬缶はyakwanでyakanではない。戦前は「わ」を小さくした文字があったのだが、今や表記できなくなった。
だからと言って、誰も不自由はしていないはずだ。
漢字の習得には時間がかかるが、それこそスペルを覚えるのと同じことだろう。そして、我々の使うかな漢字交じり文は、速読に向いている。速読法不要というメリットを持っているのだ。
日本語の普及、ぜひ実行に移してもらいたいものだ。大国日本の責任として。
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