高橋是清公園
公園の沿革(港区の資料より)
明治時代後期、日本の金融界の重鎮であり、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清(1854~1936)の邸宅跡です。昭和13年、記念事業会が東京市に寄与して同16年に記念公園として開園し、昭和25年に港区が管理をするようになりました。
邸宅は移築され、現在では都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」にて公開されています。
第20代日本国総理大臣・高橋是清の邸宅跡であり、昭和13年(1938年)に高橋是清記念事業会が東京市に寄与し、昭和16年(1941年)に記念公園として開園したものである。
1950年(昭和25年)、公園は港区に管理移行され、現在に至る。
旧・高橋是清邸
邸宅は移築され、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」で公開されている。赤坂の旧高橋邸は赤坂御所と対面する青山通り沿いにあって敷地は約2,000坪、現在公園に隣接しているカナダ大使館も往時は高橋邸の一部であった。
面積:5,320.62平方メートル
施設:日本庭園、石橋、石人像、石灯篭
港区赤坂 7-3-39
もともとこの地は明治11年に赤坂区役所が設けられた跡で明治24年移転し明治35年高橋邸が立てられた。昭和11年2・26事件で暗殺後、東京都へ寄贈され公園として昭和16年6月公開したもの。
昭和16年主屋部分は多磨霊園に移築、休憩所「仁翁閣」として使用された後に平成5年「江戸東京たてもの園」に移築。そのほかのゆかりの建物は、空襲により焼失した。
高橋是清邸付近の古地図
現在のGOOGLEでの高橋是清公園地図
古地図に赤坂見附方面に向かった右下小道に「ヤケンザカ」とある。この坂を進んだ左に「末廣稲荷神社」もある。
散歩した日 平成10年11月29日
〈散歩ルート:原宿、銀杏並木、高橋是清庭園、末広神社、TBS、東京駅〉
公園の沿革(港区の資料より)
明治時代後期、日本の金融界の重鎮であり、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清(1854~1936)の邸宅跡です。昭和13年、記念事業会が東京市に寄与して同16年に記念公園として開園し、昭和25年に港区が管理をするようになりました。
邸宅は移築され、現在では都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」にて公開されています。
第20代日本国総理大臣・高橋是清の邸宅跡であり、昭和13年(1938年)に高橋是清記念事業会が東京市に寄与し、昭和16年(1941年)に記念公園として開園したものである。
1950年(昭和25年)、公園は港区に管理移行され、現在に至る。
旧・高橋是清邸
邸宅は移築され、都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」で公開されている。赤坂の旧高橋邸は赤坂御所と対面する青山通り沿いにあって敷地は約2,000坪、現在公園に隣接しているカナダ大使館も往時は高橋邸の一部であった。
面積:5,320.62平方メートル
施設:日本庭園、石橋、石人像、石灯篭
港区赤坂 7-3-39
もともとこの地は明治11年に赤坂区役所が設けられた跡で明治24年移転し明治35年高橋邸が立てられた。昭和11年2・26事件で暗殺後、東京都へ寄贈され公園として昭和16年6月公開したもの。
昭和16年主屋部分は多磨霊園に移築、休憩所「仁翁閣」として使用された後に平成5年「江戸東京たてもの園」に移築。そのほかのゆかりの建物は、空襲により焼失した。
高橋是清邸付近の古地図
現在のGOOGLEでの高橋是清公園地図
古地図に赤坂見附方面に向かった右下小道に「ヤケンザカ」とある。この坂を進んだ左に「末廣稲荷神社」もある。
散歩した日 平成10年11月29日
〈散歩ルート:原宿、銀杏並木、高橋是清庭園、末広神社、TBS、東京駅〉

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます