昨夜の事です。
出勤前にゴミを捨てて行こうとした時の事。
近所であまり見かけない子供(3歳くらい)が夜の19:00頃に道路で一人でうろうろしていました。
危ないなって思ってゆっくり車を走らせていた時、子供は様子を伺いながら車の前へ『止まれ!』って仕草をしながら飛び出して来ました。
ボクはそういう状況になるかもって思って運転していたので万が一みたいな事には全然ならなかったのですが、子供は驚きもせずどきもせず最初はそのまま突っ立っていました。
少しして退いたのですが、『危ないだろ!横に避けていないと!!』って注意しても、注意されたと事態が解っていない様子できょとんとしていました。
恐らく夏休みとかで近所に来ていた誰かの家の子だろう(と言っても目の前の家に小さな子がいるのは知っていたのでその家の子だろう)と思って、でも時間が無かったのでそのまま出社してしまいました。
そして今朝、そういう子がいたなんだよって嫁に話をしたら、最近そういう子がいて危なかったんだよって返事が。
恐らくボクは前述のその家の子だろうと思って話をしていたんですが、どうも様子がおかしい。
よくよく話を聞いていると、どうもその少し前の家の子供らしいと言うのです。
そんな家に小さな子供なんていなかったよなぁと思いつつ、でもこの前のお祭りの時のその辺から出てきて、でも家に帰れって他の家のお母さんが言っても一向に帰らなかった。でもそのお母さんの子供がお菓子をあげたら帰って行ったって事があったんだって言ってた。
ボクにはやっぱり納得いかない状態なので、今度はボクの母親にその話をした所、なんとやっぱり近所ではあるが少し離れた所の家の子供だって話でした。
そう言えば他の家にもいたかも位の記憶でなんとか思い出してはみたものの、年齢とかがちょっと曖昧なんでそうだったっけかなと思いつつも他にこういう事があったんだって母親に恐ろしい事を聞かされた。
最近その子供がいなくなったとかで通報騒ぎになった事。そしてその家の家族が放任で子供の相手とかを全然しないって事。
そら放任じゃトラブルや問題も起きるわなって思って聞いていた。
でもそういう事があればボクの耳にも入って来ても不思議では無いんだけどなって思いつつ、ボクの生活時間帯とかで入らなかっただけだったらしいんだけど、近所でそういう子がいたって事実自体が本当に驚きで。
ここまで放任の家族ってドラマかマンガだけだろうとボクの中ではタカを括っていたんですけど、半径500m以内の家でそういう家庭があるなんて本当に驚きました。
放任主義の家って簡単な感じで思えば子供がそれなりに自分で何とか出来る位の年齢での事から『なんでも自分でやるんだよ』って意味を自分で考えられて行動出来るから放任ってアリなんだと思っていたんですね。あまっちょろいかもしれないけれど。
でも、この子位(実際は4歳らしい)で、しかもこの道は車も結構スピード出して危ない道なのにそれこそ本当に一緒に親がいないと危険なのに平気、勝手に子供が家を出て行っても平気ってありえないなって思いました。
他の家庭に必要以上に口を出してはいけないもんですけれど、こればかりは言って置いた方がいいなって思って近所付き合いの薄いボクではトラブルになるからとりあえず母親にその辺を上手く言って置いて貰う事にしました。
しかし、こんなに小さな子供をほったらかしって、頭どうかしてるんじゃないかってつくづく思いましたね。
子供欲しくて作ったんじゃないんですかね?
確かに欲しくてでは無くて出来たとかって言う子供もいるでしょう。言葉悪いですけど。
でもですね。
子供は親を選べないとかっていうけれど、本当は選んで生まれて来るんですよ。
『この両親から生まれたい』って。
どうしてそういう事を書くかっていうとですね?
前もちょっと書いたかもしれないけれど、ボクの嫁さんはもしかしたら二十歳まで生きられないかもってお医者さんに言われていたそうです。
もちろん子供なんてもってのほか。
この話はボクが嫁と付き合う時に言われていて、まぁ、だからと言って嫁と付き合わないってそれもおかしな話だから、体の事は仕方ないしって思っていたので子供の事は諦めていたんですね。まぁもう15年も前の話ですけどね。
で、それでも結婚して(家の両親にもその話はもちろんして)、で、お医者さんにも一緒に行って、でも今の医療と施設ならなんとかなるでしょって事もあって、そしてボクら夫婦にも子供が授かる事が出来たんですね。ここは考え方や状況がいろいろ難しい所もありますが。
それでね?
その子供を、言わばぶっちゃけ作っても良いってお医者さんの判断も、結果論かもしれないけれど、ボクらにうちの子は来たかったから生まれたんだよって、生まれて来たんだよって嫁は言ってました。
ボクの諦め心からの嬉しさとかよりも、誰より自分の人生全てをひっくるめて嫁は子供が出来た生まれたって事が本当に嬉しかったに違いないと思います。
あまり言葉や行動とかでは表に出さないけれど。
今も不妊治療とかで自分達に子供がって話を聞く度に、ウチは恵まれているとかそんな軽い言葉では済まされないけれど、なんにしても本当に幸せだなって思うんですね。
そういう事もあって、特にやっぱり子供をどうこうしちゃう親ってどうしようもないとか頭おかしいとかやっぱり思うんです。
どうして母親なら特に自分のお腹を痛めて産んだ自分の子供の手を繋いで生活出来ないのかと。
様々な理由はあると思うから簡単には言えないけれど、やっぱりきちん一緒に幸せな生活をして欲しいと思います。
そんな悲しい事もあったけれど、今日はうちの子の誕生日です。
今日で10歳になります。
あれから10年かって、今でも生まれたあの日の事は忘れません。
嫁の体の事もあって帝王切開なので、出産日はあらかじめ決まっていて、ボクもある意味『準備万端』でその日を迎えました。
嫁の入院、出産日の朝、病院へ入った時、手術室へ嫁が入った時、生まれた子供の産声・その体、そして抱っこした感触。
すべてが今でも忘れようがありません。
嬉しくて今でもこう書きながら涙が出てきたりします(マジで)。
そういう事をたまに嫁と話す時には読めよりボクの方が嬉しそうだって言われるんですけど、そんな事ないでしょうよ。
ボクは幸せです。子供二人も授かって、そしてこんな父親でも好きだって言って貰えて。
10年経ったけれど、まだまだ親としてどうしようもないけれど、子供の笑顔を壊すような事だけはしない様にしてきただけだけど、これからも好きだって言って貰える親として頑張っていかなきゃと改めて思いました。
自分の子供は自分の半身であり、幸せの象徴なんだって思います。
どうか、お子さんがいる方はお子さんを大事にしてあげて下さい。
出勤前にゴミを捨てて行こうとした時の事。
近所であまり見かけない子供(3歳くらい)が夜の19:00頃に道路で一人でうろうろしていました。
危ないなって思ってゆっくり車を走らせていた時、子供は様子を伺いながら車の前へ『止まれ!』って仕草をしながら飛び出して来ました。
ボクはそういう状況になるかもって思って運転していたので万が一みたいな事には全然ならなかったのですが、子供は驚きもせずどきもせず最初はそのまま突っ立っていました。
少しして退いたのですが、『危ないだろ!横に避けていないと!!』って注意しても、注意されたと事態が解っていない様子できょとんとしていました。
恐らく夏休みとかで近所に来ていた誰かの家の子だろう(と言っても目の前の家に小さな子がいるのは知っていたのでその家の子だろう)と思って、でも時間が無かったのでそのまま出社してしまいました。
そして今朝、そういう子がいたなんだよって嫁に話をしたら、最近そういう子がいて危なかったんだよって返事が。
恐らくボクは前述のその家の子だろうと思って話をしていたんですが、どうも様子がおかしい。
よくよく話を聞いていると、どうもその少し前の家の子供らしいと言うのです。
そんな家に小さな子供なんていなかったよなぁと思いつつ、でもこの前のお祭りの時のその辺から出てきて、でも家に帰れって他の家のお母さんが言っても一向に帰らなかった。でもそのお母さんの子供がお菓子をあげたら帰って行ったって事があったんだって言ってた。
ボクにはやっぱり納得いかない状態なので、今度はボクの母親にその話をした所、なんとやっぱり近所ではあるが少し離れた所の家の子供だって話でした。
そう言えば他の家にもいたかも位の記憶でなんとか思い出してはみたものの、年齢とかがちょっと曖昧なんでそうだったっけかなと思いつつも他にこういう事があったんだって母親に恐ろしい事を聞かされた。
最近その子供がいなくなったとかで通報騒ぎになった事。そしてその家の家族が放任で子供の相手とかを全然しないって事。
そら放任じゃトラブルや問題も起きるわなって思って聞いていた。
でもそういう事があればボクの耳にも入って来ても不思議では無いんだけどなって思いつつ、ボクの生活時間帯とかで入らなかっただけだったらしいんだけど、近所でそういう子がいたって事実自体が本当に驚きで。
ここまで放任の家族ってドラマかマンガだけだろうとボクの中ではタカを括っていたんですけど、半径500m以内の家でそういう家庭があるなんて本当に驚きました。
放任主義の家って簡単な感じで思えば子供がそれなりに自分で何とか出来る位の年齢での事から『なんでも自分でやるんだよ』って意味を自分で考えられて行動出来るから放任ってアリなんだと思っていたんですね。あまっちょろいかもしれないけれど。
でも、この子位(実際は4歳らしい)で、しかもこの道は車も結構スピード出して危ない道なのにそれこそ本当に一緒に親がいないと危険なのに平気、勝手に子供が家を出て行っても平気ってありえないなって思いました。
他の家庭に必要以上に口を出してはいけないもんですけれど、こればかりは言って置いた方がいいなって思って近所付き合いの薄いボクではトラブルになるからとりあえず母親にその辺を上手く言って置いて貰う事にしました。
しかし、こんなに小さな子供をほったらかしって、頭どうかしてるんじゃないかってつくづく思いましたね。
子供欲しくて作ったんじゃないんですかね?
確かに欲しくてでは無くて出来たとかって言う子供もいるでしょう。言葉悪いですけど。
でもですね。
子供は親を選べないとかっていうけれど、本当は選んで生まれて来るんですよ。
『この両親から生まれたい』って。
どうしてそういう事を書くかっていうとですね?
前もちょっと書いたかもしれないけれど、ボクの嫁さんはもしかしたら二十歳まで生きられないかもってお医者さんに言われていたそうです。
もちろん子供なんてもってのほか。
この話はボクが嫁と付き合う時に言われていて、まぁ、だからと言って嫁と付き合わないってそれもおかしな話だから、体の事は仕方ないしって思っていたので子供の事は諦めていたんですね。まぁもう15年も前の話ですけどね。
で、それでも結婚して(家の両親にもその話はもちろんして)、で、お医者さんにも一緒に行って、でも今の医療と施設ならなんとかなるでしょって事もあって、そしてボクら夫婦にも子供が授かる事が出来たんですね。ここは考え方や状況がいろいろ難しい所もありますが。
それでね?
その子供を、言わばぶっちゃけ作っても良いってお医者さんの判断も、結果論かもしれないけれど、ボクらにうちの子は来たかったから生まれたんだよって、生まれて来たんだよって嫁は言ってました。
ボクの諦め心からの嬉しさとかよりも、誰より自分の人生全てをひっくるめて嫁は子供が出来た生まれたって事が本当に嬉しかったに違いないと思います。
あまり言葉や行動とかでは表に出さないけれど。
今も不妊治療とかで自分達に子供がって話を聞く度に、ウチは恵まれているとかそんな軽い言葉では済まされないけれど、なんにしても本当に幸せだなって思うんですね。
そういう事もあって、特にやっぱり子供をどうこうしちゃう親ってどうしようもないとか頭おかしいとかやっぱり思うんです。
どうして母親なら特に自分のお腹を痛めて産んだ自分の子供の手を繋いで生活出来ないのかと。
様々な理由はあると思うから簡単には言えないけれど、やっぱりきちん一緒に幸せな生活をして欲しいと思います。
そんな悲しい事もあったけれど、今日はうちの子の誕生日です。
今日で10歳になります。
あれから10年かって、今でも生まれたあの日の事は忘れません。
嫁の体の事もあって帝王切開なので、出産日はあらかじめ決まっていて、ボクもある意味『準備万端』でその日を迎えました。
嫁の入院、出産日の朝、病院へ入った時、手術室へ嫁が入った時、生まれた子供の産声・その体、そして抱っこした感触。
すべてが今でも忘れようがありません。
嬉しくて今でもこう書きながら涙が出てきたりします(マジで)。
そういう事をたまに嫁と話す時には読めよりボクの方が嬉しそうだって言われるんですけど、そんな事ないでしょうよ。
ボクは幸せです。子供二人も授かって、そしてこんな父親でも好きだって言って貰えて。
10年経ったけれど、まだまだ親としてどうしようもないけれど、子供の笑顔を壊すような事だけはしない様にしてきただけだけど、これからも好きだって言って貰える親として頑張っていかなきゃと改めて思いました。
自分の子供は自分の半身であり、幸せの象徴なんだって思います。
どうか、お子さんがいる方はお子さんを大事にしてあげて下さい。