今日、図書館で「増山修 水彩画集」という
画集を借りてきたけど、「はじめに」の文章に
目が止まったので書き写してみるね。
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スケッチの際、無限にあるアングルの中から
風景を切り取って描くという行為は、たくさん
いる雀の中の一羽に目を留めるようなものだと
思います。どれも同じ雀にしか見えない中で、
どれか一羽に目を留めた途端、それはもはや
大勢の中のひとつでなくなります。そこに
唯一無二の存在の美しさを見出すことが
できるのです。
そのようにスケッチで風景と向き合った時に、
自然の美しさはどこから来るのだろうかと
つくづく考えさせられます。
聖書の中で、野の百合を見てイエスが「栄華を
極めたソロモンでさえ、このような花の一つ
ほどにも着飾ってはいませんでした」と語る
有名な一節があります。
自然は、今という時間の中に生きていて、
明日のことを心配していません。のびやかに
伸びる樹、風になびく草、人でいえばちょうど
赤ん坊と同じではないでしょうか。そのピュアな
姿が私たちの心を打つのかもしれません。
明日という日は、いつも歴史上初めて訪れる
日です。そこには常に無限の可能性、希望が
あります。この明日の与え手のことを神と
呼ぶのであれば、そこから与えらえていない
ものは何ひとつありません。
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無限にあるアングルの中から風景を切り取るのは、
写真も同じだと思うけど、自然はどんな風な切り
取り方をしても美しさを感じると思わない?
「自然は、今という時間の中に生きていて、
明日のことを心配していません」
自分も自然と同じような生き方をしたいよね。
(2015年5月10日撮影)