心の休憩室 パート2

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般若心経その12 (別の本の意味と解説3)

2023-03-21 17:26:18 | 般若心経

【般若心経その12】

 

=== 別の本の意味と解説その3 ===

*****(5)

① 無無明 むむみょう

② 亦無無明尽 やくむむみょうじん

③ 乃至無老死 ないしむろうし

④ 亦無老死尽 やくむろうしじん

⑤ 無苦集滅道 むくしゅうめつどう

⑥ 無智亦無得 むちゃくむとく

 

【意味】

① 無明なく

② 無明の滅もない

② 老死(までの苦が生じる過程)はなく

③ 老死の滅もない

④ 苦・集・滅・道もない

⑤ 知るということもなく、得るということもない

 

【解説】

・人はなぜ苦しむのか。釈迦はその原因を追究し、

 苦が生まれる因果関係をつきとめた。

 それを、十二縁起(十二支縁起、十二因縁)と言う。

・十二縁起とは、

① 無明(むみょう):無知

⇒ ② 行(ぎょう):自己形成

⇒ ③ 識(しき):認識作用

⇒ ④ 各色(みょうしき):自我の諸要素

⇒ ⑤ 六処(ろくしょ):6つの感覚

⇒ ⑥ 蝕(そく):対象との接触

⇒ ⑦ 受(じゅ):感情

⇒ ⑧ 愛(あい):欲望

⇒ ⑨ 取(しゅ):執着

⇒ ⑩ 有(う):生存

⇒ ⑪ 生(しょう):生活

⇒ ⑫ 老死(ろうし):老いと死

・十二縁起を「①が②を生み、②が③を生み・・・」と

 「原因⇒結果」として観察することを「順観」という。

 これに対して「①がなくなれば(滅尽すれば)②が

 なくなり(滅尽し)・・・」と「原因の滅尽⇒結果の

 滅尽」として観察することを「逆観」という

・本文①~④は、4階「五蘊(自己)は空であるとする

 観自在菩薩のフロア」から眺めると、十二縁起は

(順観と逆観のいずれにおいても)すべて無いと

いう意味である。

・本文⑤は「四諦」は無いと言っている。

 「諦」は「明らかにする」と意味である。

・本文⑥の「」は、釈迦が四諦八正道によって

 得た「智」のことである。

・「自己を突き詰めると、諸法という要素に解体され、

 固定した自我は存在しない」が仏教の基本的な考え方である。

・なぜ自己があるように見えるのか、研究者たちは、「どこかに

 諸法を結合させたり分離させたりする働きがあるため、

 個性が生じて自己が存在しているように見える」と考えた。

・この諸法を結合させる働きを「」、分離させる働きを「非得」と

 言う。

・本文⑥は、上記の「智」も「得」もないと言っている。なお、

 大本では「得もなく」の後に「得もなく非得もない」と続く。

 すなわち、般若心経(小本)では「非得もない」が省略されている。

 

*****(6)

① 以無所得故 菩提薩埵  いむしょとくこ ぼだいさった

③ 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 えはんにゃはらみったこ しんむけいげ

③ 無罜礙故 無有恐怖 むけいげこ むうくふ

④ 遠離一切顛倒夢想 おんりいっさいでんどうむそう

⑤ 究竟涅槃 くぎょうねはん

 

【意味】

① (この故に)ここにはいかなるものもないから、菩薩は

② 般若波羅蜜多(智慧の完成)を拠り所として、心の妨げなく安住している

③ 心の妨げがないので恐れがなく

④ ないものをあると考えるような見方を超越していて

⑤ まったく開放された境地にいる

 

【解説】

・大本に書かれている舎利子のふたつ目の質問

 「そのビジョンを得る手段は何か?」の答えが

 この箇所から始まっている。

・菩提は「悟り」、薩埵は「一人」という意味の音写語で、

 菩提薩埵は「修行者」のことである。

・菩薩たちは、般若波羅蜜多をスローガンとして祈り、

 瞑想し、この言葉に込められた意味を追求したのである。

・そのことを、菩提の代表として、観自在菩薩が語っている。

・本文②は、「般若波羅蜜多(という真言)によらずして、

 このような成果は得られないのだ」と強調している。

・「罜礙」の「罜」は「ひっかけるもの」、「礙」は「妨げるもの」を

 意味する。原語の「アーヴァナラ」(妨げるもの、閉ざされたもの、

 覆うもの)を漢訳するために作られた学術用語。

・本文②の「妨げ」は「諸法の実在観」のことである。

・恐怖の原因は「閉ざされている」という感覚である。

 例えば、死の恐怖は「死から逃れられない」と思うから

 生じる。「逃れられない」は「閉ざされている」と同じ

 意味である。

・本文③は、妨げるものがないので、心が開放され、

 恐れがなくなるという意味になる。

*****

 

(その13に続く)