心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

般若心経その8 (訳と解説3)

2023-03-18 17:53:41 | 般若心経

【般若心経その8】

 

=== 訳と解説その3 ===

*****(6)

以無所得故 いむしょとくこ

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 ぼだいさった えはんにゃはらみったこ

心無罜礙 無罜礙故 しんむけいげ むけいげこ

無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 むうくふ おんりいっさいでんどうむそう

究竟涅槃 くぎょうねはん

 

【訳】

(涅槃の)「獲得」がないのであるから、

菩薩は般若波羅蜜多(知恵の完成)に依り、

心になんの妨げもなく過ごしている。

 

心になんの妨げもないから、恐怖することがなく、

倒錯した思いを超越しており、涅槃に入った人なのである。

 

【解説】

・菩提薩埵は、菩提、つまり仏になるために修行中の人のことである。

 

・「菩提は般若波羅蜜多、すなわち「般若経」をひたすら崇め敬うことで、

 心には迷いも苦しみも恐怖もなくなり、間違った考えからも離れて、

 最高の涅槃に至ることができた」と「般若経」の素晴らしさを讃えている。

 

*****(7)

三世諸仏 さんぜしょぶつ

依般若波羅蜜多故 えはんにゃはらみったこ

得阿耨多羅三藐三菩提 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 

【訳】

過去、現在、未来におられるすべてのブッダは、

般若波羅蜜多 (智慧の完成)に依って、

この上ない正しい悟りを完全に悟られたのである。

 

【解説】

・「この世のすべての仏は、般若波羅蜜多の徳のおかげで

 無上の悟りを手にできた」と説明している。

 

*****(8)

故知般若波羅蜜多 こちはんにゃはらみった

是大神呪 是大明呪 ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ

是無上呪 是無等等呪 ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ

能除一切苦 のうじょいっさいく

真実不虚 しんじつふこ

 

【訳】

ゆえに以下のことを理解せよ。

 

般若波羅蜜多(智慧の完成)は大いなる

真言(マントラ)であり、大いなる知力を

持つ真言であり、最上の真言であり、

比類なき真言であり、一切の苦しみを

鎮める真言であり、ウソいつわりが

ないから、真実なのである。

 

【解説】

・「般若心経」の最後の山場となる部分である。

 

・これさえ唱えれば苦しみはすべて取り除かれる、

 どのようなことにも効く、万能の呪文だと、言葉を

 重ねて説明している。

 

・この後、いよいよ聖なる呪文が登場する。

 

*****(9)

故説般若波羅蜜多呪 こせつはんにゃはらみったしゅ

即説呪曰 そくせつしゅわつ

羯諦羯諦波羅羯諦 ぎゃていぎゃていはらぎゃてい

波羅僧羯諦 はらそうぎゃてい

菩提薩婆訶 ぼじそわか

般若心経 はんにゃしんぎょう

 

【訳】

般若波羅蜜多(智慧の完成)において、真言が

説かれた。それは以下の如し。

 

「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩 婆訶

(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガチー

ボーディ スヴァーハー)」

 

(行った者よ、行った者よ、彼岸に行った者よ、

向かい岸へと完全に行った者よ、悟りよ、幸いあれ)

 

以上、「般若波羅蜜多心」が終わった。

 

【解説】

・「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩 婆訶」が

 般若心経の心臓部、「呪文の本体」である。

・不思議な響きを持っているのは、原典のサンスクリットの

 読みがそのまま生かされているからである。

・このような呪文のことを真言(マントラ)と呼ぶ。

 

*****

 

(その9に続く)


般若心経その7 (訳と解説2)

2023-03-17 17:48:01 | 般若心経

【般若心経その7】

 

=== 訳と解説その2 ===

*****(4)

是故空中無色 ぜこくうちゅうむしき

無受想行識 むじゅそうぎょうしき

無眼耳鼻舌身意 むげんにびぜつしんい

無色声香味触法 むしきしょうこうみそくほう

無眼界乃至無意識界 むげんかいないしむいしきかい

 

【訳】

それゆえに、「実体がないという状態」(空)においては、

「物質要素」(色)はなく、

「感受作用」(受)はなく、

「構想作用」(想) はなく、

「意思作用およびその他の様々な心の作用」(行)はなく、

「認識作用」 (識)はない。

 

「眼」はなく、「耳」はなく、

「鼻」はなく、「舌」はなく、

「触覚器官(身)」はなく、

「意(心)」はない。

 

「いろかたち」はなく、「音」はなく、

「香り」はなく、「味」はなく、

「感触」はなく、「思い浮かぶもの」はない。

 

「眼によって起こる視覚」はなく、

「耳によって起こる聴覚」はなく、

「鼻によって起こる嗅覚」はなく、

「舌によって起こる味覚」はなく、

「触覚器官によって起こる触覚」はなく、

「意によって起こる意識」はない。

 

【解説】

・最初の2行では「五蘊」はないと言っている。

・3行目では、六根(眼耳鼻舌身意)はないと言っている。

・4行目では、六境(色声香味触法)はないと言っている。

 

・5行目では、六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、

 身識、意識)はないと言っている。

 

・「無眼界乃至無意識界」は「眼識界~意識界は

 ないという意味である。「無眼界」は正しくは

 「無眼識界」となるはず。

・以上により、釈迦が考えた「十八界」を否定している。

 

*****(5)

無無明 むむみょう

亦無無明尽 やくむむみょうじん

乃至無老死 ないしむろうし

亦無老死尽 やくむろうしじん

無苦集滅道 むくしゅうめつどう

無智亦無得 むちゃくむとく

 

【訳】

「無明」はなく、また「無」が尽きることもない。

(以下十二支縁起を順にたどって最後にくる)

「老いと死」はなく、また「老いと死」が尽きることもない。

 

「苦」「集」「減」「道」という「四諦」はない。

「悟りの智」もなく、(涅槃の)「獲得」もない。

 

【解説】

・釈迦が悟った真理に十二支縁起がある。

 

・十二支縁起は、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって

 苦悩を滅するための12の条件を系列化したもので、

  無明(むみょう)⇒行(ぎょう)⇒識⇒名色(みょうしき)⇒

  六処(ろくしょ)⇒触(そく)⇒受⇒愛⇒取⇒有⇒生⇒老死

 の順になる。

 

・無明は無知のことで、人間の煩悩のうちで最大のもので

 「煩悩の親分」のようなもの

 

・老死は、老いて死ぬという「苦悩の親玉」のようなものである。

・1行目~4行目は十二支縁起を否定している。

・5行目は四諦を否定している。

 

*****

ここまでの(2)~(5)で釈迦の教えを全て否定している。

この後が般若心経の素晴らしさを説明する部分である。

 

(その8に続く)


般若心経その6 (訳と解説1)

2023-03-16 17:57:31 | 般若心経

【般若心経その5】

 

***訳と解説その1****

では、今回から訳と解説を示します。

 

*****(1)

観自在菩薩 かんじざいぼさつ

行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃはらみたじ

照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう

度一切苦厄 どいっさいくやく

 

【訳】

聖なる観自在菩薩が、深遠な般若波羅蜜多(智慧の

完成)の行を行じながら観察なさった。

 

五蘊があり、そしてそれらの本質が空であると

見たのである。

そして一切の苦しみや厄いを超えたのである。

 

【解説】

・観自在菩薩は観音様のことである

・観音様は、菩薩の一尊

・釈迦が考え出した「五蘊」(=色、受、想、 行、敷)を

 「実体のないもの」(空、くう)だと主張している。

 (釈迦の考えを否定している)

 

*****(2)

舎利子 しゃりし

色不異空 空不異色 しきふいくう くうふいしき

色即是空 空即是色 しきそくぜくう くうそくぜしき

受想行識 亦復如是 じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ

 

【訳】

舎利子よ、

「物質要素」(色)は「実体がないという状態」(空性)と

別ものではなく、「実体がないという状態」は

「物質要素」とは別ものではない。

 

「物質要素」(色)が「実体がないという状態」(空性)なのであり、

「実体がないという状態」が「物質要素」なのである。

 

[五蘊のその他の要素である]「感受作用」(受)、

「構想作用」(想)、「意思作用およびその他の

様々な心の作用」(行)、「認識作用」(識)についても、

「物質要素」(色) と全く同じことが言える。

 

【解説】

・五蘊の「色、受、想、行、識」は全て「空」と

 同じだと言っている。

・「色」は五根(眼耳鼻舌身)と五境(色声香味触)の

 全てを意味する。

 

*****(3)

舎利子 しゃりし 

是諸法空相 ぜしょほうくうそう 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

 

【訳】

 

舎利子よ、

この世のすべての基本的存在要素(法)の特性は、

「実体がないという状態」である。

 

それらは起こってくることもなく、消滅することもない。

汚れることもなく、清らかになることもない。

減ることもなく、一杯になることもない。

 

【解説】

・「意」(六根の一つ)によって認識される

 「法」(六境の一つ)には実体がないと言っている。

・実体がないので、それらが生まれたり消えたり、

 汚れたりきれいになったり、増えたり減ったり

 している(ようにみえる)のも、すべて錯覚である。

・「意(心)」によって思い浮かべられるものが

 「法」である。(例えば、昨日の出来事を

  思い出すとか)

*****

 

(その7に続く)

 


般若心経その5 (釈迦の仏教と大乗仏教)

2023-03-15 17:29:51 | 般若心経

【般若心経その5】

 

般若心経の訳に入る前に、「釈迦の仏教」と

大乗仏教の違いを説明します。

 

釈迦入滅後数百年の時を経るうちに、釈迦の

時代の教えをかなり異なる形で解釈し、

独自の路線を打ち出すグループが多数登場

しはじめた。

 

仏教は「考え方に多少の違いはあっても、

他の集団との協調性を保っているならば

同じ仲間として認める」という決まりを

作ったので、すさまじい多様性が生まれた。

 

これによって生まれたのが大乗仏教で、

般若教の他に法華経、維摩経、華厳経などがある。

 

大乗仏教には「仏の力を信じて崇めれば

救われる」という思いがある。

 

しかし、「釈迦の仏教」は「自力で修行し、

自分で煩悩を滅し、自力で自分を救う」ことを

求めている。

 

寄って、大乗仏教と「釈迦の仏教」の考え方は異なる。

*****

 

般若心経は「釈迦の教えを否定することによって、

釈迦を越えようとしている経典」と言える。

*****

 

般若心経は玄奘三蔵法師の訳であるが、

短いバージョンの小本と長いバージョンの

大本の二種類がある。

 

大本には

・出だしの部分(序分、じょぶん)

・本文(正宗分、しょうしゅうぶん)

・結びの言葉(流通分、るずうぶん)

があるが、

小本には序分と流通分が無い。

 

262文字の般若心経は小本である。

*****

【大本の序分に書かれた内容】

あるとき釈迦は、王舎城という町の

霊鷲山という山で、多くの弟子や菩薩たちと

ともにいて、一人、深い禅定(ぜんじょう)

(瞑想状態)に入っておられました。

 

その折、舎利子がその場の集まりの中にいた

観音様に「般若波羅蜜多を修行するには

どうしたらよいのですか?」と尋ねました。

 

すると観音様は次のように言いました。

*****

【大本の流通分に書かれた内容】

それまで瞑想に入っていた釈迦は、その状態から

出ると、観音菩薩が述べたことに対して、

「その通り、素晴らしい」と称賛しました。

 

すると、その場に集っていた大勢の聴衆は

みな歓喜して、その言葉を承りました。

*****

 

つまり、小本に書かれていることは、

舎利子の質問に対する観音様の答えである。

(舎利子は釈迦の一番弟子)

 

また、観音様の答えに対して、釈迦が

「素晴らしい」と称賛したことが重要である。

*****

般若波羅蜜多(智慧の完成)は六波羅密多の一つである。

 

六波羅密多:菩薩に課せられた六種類の実践徳目

①布施波羅密多、②持戒波羅密多、③忍辱波羅密多、

④精進波羅密多、⑤禅定波羅密多、⑥智慧(般若)波羅密多

①~⑤は⑥を得るための手段である。

*****

上の序分を理解して、小本を読むと理解しやすい。

 

(その6に続く)


般若心経その4 (釈迦の仏教3)

2023-03-14 17:15:49 | 般若心経

【般若心経その4】

 

***釈迦の仏教その3***

釈迦の仏教の続きです。

 

「五蘊(ごうん)」や「十二処」や「十八界」によって

この世の在り方を正しく認識することができたら、

次は「苦となにか?」を理解することです。

 

そこで、出てくるのが次の八苦です。

生苦:生まれたことや生きていること自体が苦しみ

老苦:老いていくことの苦しみ

病苦:病気になる苦しみ

死苦:死は必ずやってくるという苦しみ

 

愛別離苦 (あいべつりく):

愛する人といつかは別れがやってくる苦しみ

 

怨憎会苦 (おんぞうえく):

腹が立つ憎い人間と会わないといけない苦しみ

 

求不得苦 (ぐふとくく):

求めるものが手に入らない苦しみ

 

五蘊盛苦 (ごうんじょうく):

私たちの心と体(≒五蘊)が苦しみを生む原因だということ

 

「四苦八苦」という言い方をしますが、

四苦は生老病死の4つの苦です。

*****

 

次に、四諦(したい)と呼ばれる4種の基本的な

真理がでてきます。迷いと悟りとの因果を

苦・集・滅・道の四つに分けて説明したものです。

 

四諦(したい)とは、

苦諦:

この世は自分の思い通りにならず苦しみばかりという真理

 

集諦:

苦しみばかりであるのは、自分の欲望や煩悩が原因という真理

 

滅諦:

自分の欲望や煩悩を消し去り、正しい行動をすれば

苦しみから解放されるという真理

 

道諦:

正しい行動とは八正道であるという真理

*****

 

では、八正道(はっしょうどう)は何かと言うと、

 

正見 (しょうけん):

・正しいものの見方・考え方を持つこと

・偏った見方(自己中心的な考え等)で物事を見ないこと

 

正思惟 (しょうしゆい):

・怒りや憎しみ等の感情にとらわれず、正しい考え方で判断をすること

・偏った考え方をせず善悪を正しく見極めること

 

正語 (しょうご):

・嘘や悪口、二枚舌は言わず、正しい言葉を発すること

・正しい言葉遣いをすること

 

正業 (しょうごう):

・殺生や盗みなど道にそれたことはせず、正しく生きること

・煩悩のままの行動を慎むこと

 

正命 (しょうみょう):

・規則正しい生活を送ること

 

正精進 (しょうしょうじん):

・正しい努力をすること

 

正念(しょうねん):

・正しい志、意識を持つこと

 

正定(しょうじょう):

正しい心の状態を保つこと

*****

 

「生きる苦しみを消すための道」を示すのが、

上記の四諦と八正道です。

*****

 

(その5につづく)