コロナ禍の教会バザー開店の祈りうるわし助っ人も入り
コロナ禍に入ってから、世間の様々な社会活動・経済活動と同じように教会の活動も大きく制限された。礼拝でさえ、讃美歌や使徒信条・主の祈りは黙唱、交読詩編は式次第からも省かれ、礼拝時間も大幅に短縮という状況であったのだから、当然イベントや食事会は長らく中止であった。N教会では今年のイースターも愛餐会・祝会は見合わされたが、岡山の知人の教会では久しぶりに愛餐会が持たれるということでその方はケーキを焼くのに張り切っていらした。
そのように致し方なく中止されてきた活動の一つが、教会バザーである。『信徒の友』読者文芸 短歌欄を追っていると、コロナ禍のバザーの悲喜交々が描かれた歌が登場し興味をそそられる。
押し入れにあみくま十五もたまってるコロナ禍にバザーいつ開けるやら /森純江『信徒の友』2020年12月号
私はステイあみくまは北の教会へ飛んでゆくなりバザーが待ってる /森純江『信徒の友』2021年3月号
寝耳に水のようなコロナウイルス感染症の拡大で、コツコツとバザーのために編んできたあみくまが押し入れに溜まっている侘しさ。しかし、その歌が『信徒の友』に掲載されたからなのか、北日本の教会から「ぜひバザーに寄贈してほしい」とお声がかかったのだろう、神奈川の作者が喜び勇んであみくまを送り出す様子が三ヶ月後の『信徒の友』に掲載されている。
バザーの開催などはその土地の人口の多寡やコロナの感染状況によって判断される側面があるから、かたやまだ開催できていない教会があり、他の場所では少しずつ始めたという教会が出てくるのも自然なことである。
純益は日本の教会へ献金すやっと再開クラフト・セール /バーガー久子(アメリカ)『信徒の友』2022年12月号
礼拝の後にときどき開かれる「桜教会いつでもバザー」 /冨樫由美子「ミニバザー」(「短歌人」2023年3月号)
大規模なバザーのできぬ時世にて会員のみの小さきバザー
散歩するときに便利なポシェットを三百円にて入手したりき
たくさんの本ならべられ小春日のバザーに心浮きたつてゐる
わがN教会でも、2022年は秋に有志によるケーキ販売があり、アドヴェント期間には礼拝前後のミニバザーなどを行なった。
会堂前「今年もバザーありますか? 楽しみなの」と立ち止まる人 /森純江『信徒の友』2023年2月号
先のあみくまの森氏の教会も、色々な難局を乗り越えて2022年度にはバザーが開催されたようである。教会員も待ち兼ねていたバザーを、地域の方々も楽しみにしていたというのは、何と嬉しいことであろうか。N教会でも、2023年3月の臨時長老会で、バザーや愛餐会・食事会などについては、コロナ等の状況を見ながら適宜行うという方針が立てられた。
ルカによる福音書5章37〜39節に「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」 というイエスの御言葉がある。新しい酒は、これからさらに発酵していくものである。バザーは、団欒や収益だけが目的ではないだろう。教会員と地域の方々の交流の場であり、また献げる場でもあるのだ。従来通りのやり方でできぬなら開催しないという、0か1かの発想でなく、祈りつつ御心を問うて進むことが今必要なのではないだろうか。
中村笄子『信徒の友』2021年2月号
コロナ禍に入ってから、世間の様々な社会活動・経済活動と同じように教会の活動も大きく制限された。礼拝でさえ、讃美歌や使徒信条・主の祈りは黙唱、交読詩編は式次第からも省かれ、礼拝時間も大幅に短縮という状況であったのだから、当然イベントや食事会は長らく中止であった。N教会では今年のイースターも愛餐会・祝会は見合わされたが、岡山の知人の教会では久しぶりに愛餐会が持たれるということでその方はケーキを焼くのに張り切っていらした。
そのように致し方なく中止されてきた活動の一つが、教会バザーである。『信徒の友』読者文芸 短歌欄を追っていると、コロナ禍のバザーの悲喜交々が描かれた歌が登場し興味をそそられる。
押し入れにあみくま十五もたまってるコロナ禍にバザーいつ開けるやら /森純江『信徒の友』2020年12月号
私はステイあみくまは北の教会へ飛んでゆくなりバザーが待ってる /森純江『信徒の友』2021年3月号
寝耳に水のようなコロナウイルス感染症の拡大で、コツコツとバザーのために編んできたあみくまが押し入れに溜まっている侘しさ。しかし、その歌が『信徒の友』に掲載されたからなのか、北日本の教会から「ぜひバザーに寄贈してほしい」とお声がかかったのだろう、神奈川の作者が喜び勇んであみくまを送り出す様子が三ヶ月後の『信徒の友』に掲載されている。
バザーの開催などはその土地の人口の多寡やコロナの感染状況によって判断される側面があるから、かたやまだ開催できていない教会があり、他の場所では少しずつ始めたという教会が出てくるのも自然なことである。
純益は日本の教会へ献金すやっと再開クラフト・セール /バーガー久子(アメリカ)『信徒の友』2022年12月号
礼拝の後にときどき開かれる「桜教会いつでもバザー」 /冨樫由美子「ミニバザー」(「短歌人」2023年3月号)
大規模なバザーのできぬ時世にて会員のみの小さきバザー
散歩するときに便利なポシェットを三百円にて入手したりき
たくさんの本ならべられ小春日のバザーに心浮きたつてゐる
わがN教会でも、2022年は秋に有志によるケーキ販売があり、アドヴェント期間には礼拝前後のミニバザーなどを行なった。
会堂前「今年もバザーありますか? 楽しみなの」と立ち止まる人 /森純江『信徒の友』2023年2月号
先のあみくまの森氏の教会も、色々な難局を乗り越えて2022年度にはバザーが開催されたようである。教会員も待ち兼ねていたバザーを、地域の方々も楽しみにしていたというのは、何と嬉しいことであろうか。N教会でも、2023年3月の臨時長老会で、バザーや愛餐会・食事会などについては、コロナ等の状況を見ながら適宜行うという方針が立てられた。
ルカによる福音書5章37〜39節に「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」 というイエスの御言葉がある。新しい酒は、これからさらに発酵していくものである。バザーは、団欒や収益だけが目的ではないだろう。教会員と地域の方々の交流の場であり、また献げる場でもあるのだ。従来通りのやり方でできぬなら開催しないという、0か1かの発想でなく、祈りつつ御心を問うて進むことが今必要なのではないだろうか。
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