太った中年

日本男児たるもの

裁判

2008-11-22 | weblog

先々月友人の経営するフィリピンパブが摘発され、そこで逮捕、起訴されたフィリピン人ホステスの裁判が始まり、来年5月から始まる裁判員制度の予習を兼ねて傍聴に行った。法廷は初体験でかなり緊張した。先進国(米国)の裁判制度に合わせて裁判員制度を導入したらしいが、どんなものだろう。一般市民が殺人罪などの重罪を審理する憂鬱で嫌な制度だ。もし裁判員に選ばれ、それが冤罪裁判だったら罪悪感を背負った人生を過ごすことになるからなぁ。

大岡裁きやTVの土曜ワイド劇場法廷サスペンスものから窺い知れるように裁判はその共同体が必要とする物語のためにある。冤罪とはその物語が自己目的化して起きる構造的な問題だ。例えば中世の魔女狩り裁判は当時のキリスト教共同体が宗教的な定義の魔女を必要としていたからであり、魔女の物語のため、ある女性をなんとしてでも魔女に仕立て上げ裁判で火あぶりにしたのである。したがって、冤罪は裁判制度があるかぎり必ず起こることだから、裁判員制度では裁判員に選定されないことをただ願うばかりだ。

よろしく裁判員