太った中年

日本男児たるもの

秘仏の原理

2009-03-17 | weblog

 

東大寺 お水取り

そうだった、毎年東大寺のお水取りを見に行こうと思い、毎年終わってから行けなかったと後悔する。もう10年くらい悔やんでいる。来年こそは絶対行くぞと決意するのだが、たぶん同じ結果に終わるだろう。それはさておき、お水取りのクライマックスが籠松明なのに何故お水取りと称されるのか、ふと疑問に思ったのがそもそも興味の始まりだった。火と水の相反定理はその後の学習によって日本人の内なる生命システムを再生稼働させるアーキタイプであると理解できた。そして次に東大寺二月堂のご本尊が十一面観音であり、それが絶対秘仏として誰の目にも触れぬよう伏せられていることを知り、関心はそっちへ向いた。秘仏は1年、33年、60年といろいろな決め事に従い、一般には公開されず、住職だけに開帳されるものだ。しかも絶対秘仏となれば住職さえ見ることは出来ないのである。そんなにご利益のあるものならどんどん見せればいいじゃないかと思ったりした。そこで秘仏の原理というものを考えた。そして、これは歓楽街の場末にあるストリップ劇場の観音開きショーと同じようなものではないかと思いついた。ストリップの観音様とは陰語としてストリップ嬢の陰部であり、そこを見せることをご開帳という。ストリップショーの場合、いきなり観音様を見せたら見せ場がなくなる。ショーのクライマックス、最後の最後でチラリとご開帳するところに最大の効果があるのだ。そうすることによって観客の欲望は最大限に満たされるのである。誰も見ることの出来ない絶対秘仏とはその究極なのだ。こうして日本男児たるもの来年は絶対に東大寺のお水取りを見に行くぞと決意を繰り返すのだった。