太った中年

日本男児たるもの

ニートの指定席

2009-03-25 | weblog

ニートの指定席  2006/7

うちにくるクリーニング屋さんがぼやいていた。これでは仕事ができなくなると。

例の駐車違反を取り締る法改正。無人駐車は見つけ次第摘発というあれだ。

駅前はあの法改正の実施のおかげで、たしかにクリーンになった。スーパーに買物にくる車か何かで、いつも一車線分は塞がっていた。それがすっかりいなくなった。これはたしかに成果だ。たまに停まっているのを見ると、奥さんか亭主か、どちらかが乗って待っている。

恐らくこれまでスーパーへの買物は、どちらか一人で行っていたのが、これからは必ず夫婦いっしょに行くことになる。そうなるとこの法改正は、夫婦和合に一役買うことになるのかもしれない。その延長上で、少子化問題も少しは解決に向かうのか。

そういうものでもないかな。

夫婦いっしょの時間が増えて、ますますうんざり、というご家庭だってあるかもしれない。いや、それはないと思うが。

買物はともかく、営業車は大変である。宅配便の車は、だいたい一人で運転配達をしている。あの人たちはよく働く。感心する。でも車を停めて、荷物を届けにとんとんと走って行く間は、無人駐車だ。最近の申し合わせで、駐車中のアイドリングは止めているから、無人の要素は強まる。

クリーニング屋さんもいっていた。この辺は住宅地だからまだいいけど、駅前とか繁華街ではひやひやする。いまのところまだ大丈夫だけど。

この新しく改正された法を真面目にクリアーするには、従業員を一人増やさないといけない。これは大変だろう。郵便局との価格競争で、せっかく値段を下げたのが、そうはいかなくなる。働く人の就職口が増える、ということではいいが、単純にいって、いままで一人だったのを、そのまま二人雇うとなったら、会社は大変だ。

ニートの活用がいいんじゃないか。運転と配達はいままで通りお兄さんがやるから、ただ駐車違反対策で助手席に乗っているだけ。というのでぐっと安い給料で来てもらう。働きたくない人にはうってつけだ。

それだったらニートよりもワンランク上げて、引きこもりがいいか。全国で何万人だったか忘れたが、相当数の引きこもりの人がいるという。その人たちに宅配便やクリーニング配達その他の営業車に乗ってもらう。

助手席に引きこもってもらうわけである。他人との接触が嫌だというのなら、運転手との間に壁を造ってもいい。とにかく助手席にじっといてもらう。そうすれば宅配の人が荷物を届けてとんとんと走っている間も、車は違法駐車にはならない。

でも無理かな。それができるくらいなら、引きこもりにもなっていない。それができないから引きこもってるんですよ、ということなのかもしれない。

ではどうすればいいのか。

ぼくはこの事態に、代行というのが生れるのではないかと思う。東京ではまず見かけないが、地方に行くと代行屋というのがいる。車で町に出てきて、友人と話しているうち、酒が入り、酔っ払ってしまって、もう車を運転しては帰れない。じゃあ代行を呼ぼう、となって、駆けつけた代行の人に運転してもらって家に帰る。代行屋の車はその後をついてきて、運転してくれた人は、その車でまた戻るというわけだ。

いまは地方都市のほとんどにあって、でも東京にはない。何故だかわからない。東京は広すぎるのか。

いや問題はその代行屋ではなく、宅配などの営業車の代行だった。その駐車問題。とくに駅前など監視の厳しいところでどうするか。何とかならないのか。

ぼくが頼りとするのは高齢者による代行。現役一線はもう退いているけど、何か役立つ仕事をしたいという人々がたくさんいる。

よく駅前などで自転車の列を整えたりしていますね。若者みたいに激しくは動かないが、ゆっくり着実に仕事ができる。あの落着いた人々だ。

つまり、駅前的繁華街で駐車を必要とする業者が連携して、高齢者をたくさん雇用する。その人々が駅前の一角で待機する。そこへ契約した営業車が来て駐車する。配達に行く運転手が降りてくる。それと入れ代りに、高齢者が運転席に乗り込む。別に運転するわけではなく、配達に行った運転手が戻るまで、運転席でじっと待っている。そうすれば駐車違反にはならない。代行である。

運転手が戻ると席を降り、

「ありがとう」

といわれながら、代行料金を受け取る。いちいち現金は面倒なので、チケットかもしれない。その辺は駅前で連携の営業車組合ができる際に、申し合わせを作るだろう。

これなら今回の法改正を乗り越えて行けるのではないか。

この場合、営業車に限るという制約が必要だろう。そういうのがあるならと、われもわれもで一般車が来てそれを利用したら、また元のもくあみとなってしまう。駅前の道路がまた一車線塞がれてしまう。

安易に無人駐車しないのがまず基本だ。その上で、配達業やその他の営業車は、やはり生活がかかってるんだから、これは一時駐車を認めないといけない。一般車は、駅前の買物くらい歩いて行きなさい、ということ。もしくは違反覚悟で離れた所に駐車して、少しは歩く。運動しないと衰えますよ。老人力はやぶさかではないが、五体はできるだけふつうに動くように。そのためにはてくてく歩くことが第一だ。

人間はお金持に憧れている。裕福に憧れている。みんなが汗水垂らして働いているときに、何もせずに椅子にじっと坐っているのが裕福だと思われている。でもそういう裕福は、気がついたら体がなまって、あの世へ早く到着してしまう。

いやここでそんなことまでいう必要はないが、問題は無人駐車のことだった。営業車には受難である。うちの猫はこの間18歳で死んでしまった。でもその最期のころ、昔から世話になっている動物病院の先生に、何度か往診に来てもらった。車で来て、いろいろ説明して、注射して、帰っていく。その間家の脇のところに車を停めている。助手はいるけど、医者の助手だから、当然先生といっしょに来てあれこれ手伝っている。その間車には誰もいない。うちは駅前的な所ではなく住宅地だから、まあいきなりの摘発はないだろうが、摘発されるかもしれないというストレスは、発生している。やはり一考の余地はあるのだろう。問題はべったりの路上駐車にあるんだから、もう少し考えようがあるはずだ。

 

赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年、横浜生まれ。芸術家・作家。『父が消えた』で芥川賞受賞。『超芸術トマソン』『新解さんの謎』『老人力』などのベストセラー、ロングセラーを含め著書多数。卓越した着想とあくなき探究心、絶妙なユーモアで、常識でこりかたまった世の中のものの見方を変えてしまう著作、さまざまな表現活動で知られる。最新刊は『もったいない話です』(筑摩書房)。

(以上、ファイブエルより転載)