太った中年

日本男児たるもの

ハロハロ伝説

2009-08-18 | weblog

ハロハロ (Halo-halo)とはフィリピンでポピュラーな冷たいデザート。日本で言うところのパフェやサンデーに相当する。

ハロとはタガログ語で混ざるという意味で、その名の通りかき氷とミルクをベースとして、各種の果物、甘く煮た豆や芋類、アイスクリーム、ゼリー、ナタデココ、タピオカ、ココナツ、プリン、米やトウモロコシの加工品など、多種多様な材料が用いられる。

ミニストップ - 夏季メニューとして、日本風にアレンジしたハロハロを販売している。

(以上、ハロハロをWikipediaより引用)

やだなぁ、奥さん、暑いからってパロパロじゃなくてハロハロ。

パロパロとはタガログ語でチョウチョのこと。花の蜜を求めてアチコチ飛び移る姿が転じて「浮気者」を意味する。これはピン中オヤジなら誰でも知っている。しかしながらフィリピンのスィーツ「ハロハロ」が日系移民によって考案されたっていうことは余り知られていない。で、時を遡ること明治時代、我が大日本帝国は国家の方針として移民政策を遂行した。但し、実際のところそれは後の八紘一宇のような確たる思想ではなく、近代国家を建設するについて貧しい農民にメシを食わせる負担よりは貧民を遠くは地球の裏側南米まで、世界各地にバラまいた方が得策だと考えた場当たり的でいい加減なモノらしい。明治政府は仲介業者に丸投げして豊かな生活の夢が叶うとばかりに宣伝、募集した。つまりは満州国建国のような政治的な移民政策ではなくて経済的な負担を回避して人口減少させるための棄民政策だった。(このことは小泉さんのとき南米移民から訴えられて政府は保証に応じた)。そして我妻の祖国フィリピンにも大量の日本国民が移住した。フィリピン南部のミンダナオ島ダバオでは人口2万人を超える東南アジア最大の日系移民街を形成したのだ。そんなこんなして、フィリピン移民は豊富なフルーツをそのまま生温く食べるよりはかき氷の中に入れ、混ぜて冷やせばウメェだろ!っていう料理の鉄人、道場六三郎もまっ青のアイデアによってハロハロは生まれたとされている。であるからミニストップのハロハロを食べることは先達の知恵と努力と勇気を偲び敬意を表すのだ。これは日本男児として、愛国者として当然の責務である。かくの如くハロハロの歴史を昂揚しながら妻に伝え、ミニストップへ食べに行こうと誘ったところ一言、「アヤウ コ (嫌い)」と言われ微塵もなくハロハロ伝説は終わってしまった。

 

「国旗切って民主党旗」首相指摘、鳩山氏陳謝 党首討論(朝日新聞) - goo ニュース

これはいけませんなぁ。国旗を切ったアホには日系移民の祖国への思いは理解できないだろ。

<金大中元大統領逝去>波乱万丈の生涯終える(聯合ニュース) - goo ニュース

アイゴーアイゴーか。金大中拉致事件は韓国諜報機関による日本の国家主権侵害。曖昧で終わり。