胃弱なせいもあって30半ばから焼酎水割りの飲酒ライフだ。
そして随分前からビールを飲んでもさほど旨いと思わなくなっていた。
ところが猛暑が続くこの夏、先の賢人会議で
ビールじゃなくて発泡酒の麒麟淡麗〈生〉を何気に飲んだところ
「こいつぁ、ウメェーな」と感じたから人生何が起きるのか分からない。
その場限りのことかなと思い翌日、発泡酒を飲んでもイケル。
但し、麒麟淡麗〈生〉でないとダメだ。、
これは一体どういうことなのか。
不況によって低価格の発泡酒が人気を集め、それに味覚が便乗したワケでもないだろ。
ならばライアル・ワトソンの生物学現象「百匹目の猿」と同じことなのか。
だとすれば発泡酒を飲むヤツはみんなエテ公なのか、んなこたーない。
第一、ライアル・ワトソンはエセ科学者だった。
まっ、猛暑でビールと発泡酒の消費が増大したことを考えれば
「暑くて、たまたま発泡酒を飲んだら旨かった」ってだけのことか。
そう、単純に表層の快楽を求めることは欲望の源泉であり行動原理となる。
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その日の興味、眼の快楽に従ったスナップショットが実にいい。
特に田舎のかわいい女の子は最高だ。
以前、バリ島のエントリーで
「暇な時間はブラブラ歩き、股間をイジって妄想することがリゾートライフの真髄」
と主張した。
奥さん、長いようで短い人生、表層の快楽を求めて過ごそう。ではでは。