【1】初禅「せせらぎの瞑想」
- 初禅の境地とは、「あなた方が、本来の自分の存在が、肉体的なる存在ではく、霊的なるものであるということ」を見つめることを意味するのです。
- 肉体によって感じられる世界が、本来の世界ではないということを知るために、自らが霊であるということを見つめること、これが初禅の境地。
- 己自信を、執われなく、透き通り流れてゆくものとして、変転してゆくもとして捉える必要があります。
- 瞑想的境地から捉えたるところの初禅とは、いわば、透き通り、引っ掛かることなく流れていく、あのせせらぎにも似た境地を指すのであり、「せせらぎの瞑想」は、初禅にあたると思うのです。
【2】第二禅「風と雲の瞑想」
- 肉体中心に生きてきたところの、己自身の欲望や執着という執われを、引っ掛かりを、これを捨て去り、霊的なる境地へと飛翔するものでなければならないはずです。
- 瞑想的観点からの第二禅は、「風と雲の瞑想」とでも言うべき境地であろうと思うのです。
- 「透明なる風」となって、大空に駆け上り、「雲」となって空に浮かび、はるかなる上空より、この地上を見下ろしながら、己の肉体的生命の小ささと、物質世界のはるかなる姿を見下ろすときにこそ、得られる境地でありましょう。
【3】第三禅「満月の境地」
- 自らが霊的なる存在であることを知り、己自身の肉体的なる欲望と執着を去ったときに、そこに現れてくる境地とは、自らの内より輝き出るところの、神仏の子としての実相以外にはないでありましょう。
- 神仏の子としての自分自身の実相とは、これ、「満月の境地」、光輝ける黄金の球体、円の境地。これこそ、第三禅。あなたがたの心が調和され、自らの内より喜びが突き上げてくる境地です。
【4】第四禅「守護霊との対話」
- 神仏の子としての実相を知り、調和の心が芽生えてきたときに、見ればわが上より、はるかなる世界より、自らを常に守護・指導していたものたちの光が臨んでくるのです。
- その物質世界を離れ、異世界にあるところの、われらの魂のきょうだいである、守護霊と交流する境地となるのです。
- そこで初めて、霊的なる境地とは何であるかを知るに至るでありましょう。
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- そしてさらに、その四禅定の境地が進んでいったならば、おそらくや、その守護霊の力を超えたる世界より、指導霊の光を得ることができるでありましょう。
- そのときに、あなたがたは神仏と一体となった境地を味わうことができるでしょう。
- それは、人間として生きておりながら、肉体を持ちながら、この世の命をいまだ持ちながら、すでに、死して後、天上界にて味わう境地を味わったことになります。
『大川隆法 東京ドーム講演集』 第3章 p130~