- 阿羅漢の状態にもいくつかの段階がありますが、ここでは二つに大別しておきましょう。
- 第一は「阿羅漢向」という状態です。これは阿羅漢に向かっている状態です。
- 第二は「阿羅漢果」という状態です。「果」とは結果という意味であり、阿羅漢果とは、すでに阿羅漢に達した状態のことをいいます。
- 阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、どこにあるのでしょうか。
- プロの修行者としての自覚を持って生きており、心が悩みや苦しみから解放された境地にあって、常に精進を怠っていなければ、阿羅漢向の状態にあるということができます。
- そして、阿羅漢果となるためには、そうした状態が少なくとも二、三年は続いているという実績が必要なのです。
- 心が穏やかで執われがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、こうした状態が三年続けば、阿羅漢果になったと言えます。一定の期間、その状態を維持することが必要であり、それができなければ本物とは言えないのです。
- 阿羅漢向になるだけであれば、人によっては一週間ぐらいで可能です。幼いころからの記憶を取り戻して、間違った思いと行いを一つひとつ反省し、両眼から涙がほおを伝うにまかせて、「法雨」を流したとき、守護霊の声が聞こえ、その光を浴びて、阿羅漢の状態になることがあります。
- このように、早い人であれば三日から一週間で阿羅漢向になることが可能です。しかし、この状態が長く続くかどうかが鍵となります。一週間ぐらい山にこもって反省行を行い、阿羅漢に近い状態になったとしても、下山して日常生活に戻ると、また心に曇りをつくってしまうのが人間の常だからです。
- 法雨を流して、みずからの新生を誓った気持ちが、二年三年と続いて初めて、阿羅漢果の状態になるのです。
「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学