蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って18年、モットーは是々非々の団塊世代です。

場所を終えて

2021-05-23 23:29:00 | 徒然
今場所も親父の遺影は皆勤でした。
親父が亡くなった当時、雅山が出てきたときに親父の遺影をテレビ桟敷に置き、以来毎場所初日と千秋楽にはビールを一杯供えて観戦してもらっていました。
親父は戦時中に明大予科から学徒出陣しました。
マンドリンクラブで古賀政男に師事、相撲部にも属していて、学友は学徒出陣で南方戦線へ。
またもう一人の学友はソ満国境で抑留され、帰国したときは栄養失調で、脚の浮腫みが酷かったと聞いています。
皆さん鬼籍にはいられました。
^_^」
アルバムの出征時の写真を見ながら、学友のほとんどが戦死したと聞かされました。

蟷螂が物心ついた時には親父は毎場所相撲観戦し、今でも覚えているのは、相撲を見ながら、『あ、この女の人、いつも桟敷に座っている』と、羨ましそうてした。
たまに昔の相撲部のクラスメイトから枡席を譲っていただき、観戦していましたが、桟敷で貴乃花の土俵入りを見たのが、冥土の土産となりました。
時は移り、5年前まではキッチンのダイニングテーブルの上で観戦していただいていましたが、同居人がJRAを定年退職して以来、蟷螂のベッドサイドで観戦です。
初日と千秋楽にビアグラスを置けないのが少し寂しいけど、観戦後は冷えたビールを供えます。
今日は一番搾りを供えました。
蟷螂家は日々グリーンラベルですが、親父にはいつも贅沢してもらっています。
蟷螂に万一のことがあったら誰が受け継ぐのでしょう。
今場所は照ノ富士だったようですが、白鵬に甘い顔をするのも今場所限りにしてもらいたいですね。


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