その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

山岸 俊男『日本の「安心」はなぜ、消えたのか  社会心理学から見た現代日本の問題点』 (集英社、2008)

2023-12-25 07:24:22 | 

前エントリーでメモった山岸俊男『安心社会と信頼社会』が、20年以上前の書籍なのに私にはとっても新鮮な視点であったので、同著者の本をもう1冊読んでみた。『安心社会と信頼社会』のフレームワークに拠りつつ、現代日本社会・日本人の具体的な課題について、エッセイ風に考察したものである。いじめ、企業の不祥事、「日本人」気質等がトピックとして取り上げられる。

より具体的に筆者の考え方を理解するのに助けになる1冊で、ここでも目から鱗が落ちる箇所が多数あった。

例えば、いじめ問題の解決には、クラス内の傍観者の数が「臨界質量」(実験・理論では40%)に達するかどうかが大切。いじめをする子供が、いじめを続けても直接するなどで制止されるなど、いじめを続けるメリットがなくなる状態にすることでいじめを続けなくなる。また、いじめを止めようとする子供もその数が臨界質量(クラスの40%)に達しないと、自分まで被害者になるから、制止することはやめる。なので、質量が高いいじめ初期の段階で制止するかがポイント。更に如何にそうした中で、「熱血先生」は臨界質量を下げる役割を果たすので、先生の役割も大切だ。というようなことが書いてある(第八章)。一般論ではよく聞くいじめ対策であるが、実験や理論的に説明をされると、納得感が違ってくる。

全体を通じて筆者の論旨は、「利己主義」は人間には免れないので、人間性に反したモラルの押し付けは却ってモラルの崩壊を招くというものだ。最終章では、人間性に反したモラルとして「武士道」が取り上げられる。

倫理的な行動や利他的な行動は、それを支える社会の仕組み(例えば、農村のような集団主義社会、ケイレツ、終身雇用、年功序列等)があって成り立つものであって、それがなくなる(例えば、グローバルスタンダードの普及)と維持することは困難。そして、「モラルに従った行動をすれば、結局は自分の利益になるのだよ」という利益の相互性を強調する商人道よりも、理性による倫理行動を追求するモラルの体系である武士道を強制することで社会を維持していくのは、大きな心理的、経済的なコストを必要とし無理がある。と主張する。(昔、受けたリーダーシップ研修には、新渡戸水戸部稲造の『武士道』を読んで、武士道精神を理解し、実践すべしなんてものもあったが・・・(^^;))

個人的には、「サピエンス全史」で書かれていたような、実体のない理想・理念を追いかけられたからこそ人類の発展はあったという歴史の見立てにも大いに首肯するところではあるが、人間は理想だけでは食っていけないし、日々のミクロの行動は相当利己的であるのも大いに納得だ。「利益の相互性」対「理性による倫理」、今後も意識していきたい思考の枠組みである。

 

目次

第一章 「心がけ」では何も変わらない!
第二章 「日本人らしさ」という幻想
第三章 日本人の正体は「個人主義者」だった!?
第四章 日本人は正直者か?
第五章 なぜ、日本の企業は嘘をつくのか
第六章 信じる者はトクをする?
第七章 なぜ若者たちは空気を読むのか
第八章 「臨界質量」が、いじめを解決する
第九章 信頼社会の作り方
第十章 武士道精神が日本のモラルを破壊する

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山岸俊男『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』 (中公新書、1999)

2023-12-23 07:26:43 | 

日本人の行動や社会を社会心理学の観点から実験・分析した一冊。筆者はすでに他界されておられるようだが、北大で社会心理学を専門とされた教授をされていた方。

アプローチはアカデミックだが、一般読者向けにわかりやすく記述されている。目から鱗が落ちる知見がいくつも披露されており、日本人としての自分自身の思考や行動を顧みる機会として貴重な読書体験だった。

筆者は、日本人が集団志向で思考したり行動するのは、個人よりも集団を大切に思ってやっているわけではない。むしろ欧米に比べて、他人を信頼しない度合いは高いという、常識を覆す実験結果が示される。そして、その原因は日本人の特色というよりも、日本社会の仕組みに要因があると言う。

「日本人の集団主義文化は個々の日本人の心内部に存在するというよりは、むしろ日本社会の「構造」の中に存在」している。つまり、「集団主義的な」日本社会で人々が集団のために自己の利益を犠牲にするような行動をとるのは、人々が自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質をもっているからというよりは、人々が集団の利益に反するように行動するのを妨げるような社会のしくみ、とくに相互監視と相互規制の仕組みが存在しているから」(p.45)

コロナ禍における、自主的な行動規制などは、まさにこの社会のしくみ(相互監視と相互規制)が集団での自主行動規制を生んだと言えるだろう。

そして、筆者は、日本人の他者への信頼度が低いのは、集団主義社会による関係の安定性の中で(筆者はこのような社会を「安心社会」と呼ぶ)、日本人には相手を信頼する必要性低く、一般的信頼を育つ土壌が無かったからだという。信頼がないというよりも、信頼を必要とする環境になかったということだ。

「集団主義社会では、集団の内部にとどまっている限り安心して暮らすことができます。しかし・・・・集団主義的な行動原理は、実は、集団の枠を超えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまう可能性があります」(p.52)

おお、なるほどと、膝を打つ説明だ。

また、筆者は安心社会と信頼社会のそれぞれにおいて、人間に必要とされる知性として「地図型知性」と「ヘッドライト型知性」という概念を提示します。

「関係性検知を核とした社会的知性(地図型知性)は、関係による行動の拘束が大きな集団主義社会においてとくに適応的な役割を果たすだろう・・・集団主義社会の最も重要な特徴は『内集団ひいき』の期待にあります。」(p.199)

「相手の立場に身を置いて相手の行動を推測する能力を核とする社会的知性を、ヘッドライト型(社会的)知性と呼ぶ・・・必要になるのは地図の範囲を超えて社会的世界をナビゲートする場合・・・特徴はその携帯性にあります。」(pp.204‐205)

集団主義社会において地図型知性が求められるという指摘には、思い当たること多い。わが身を振り返ると、会社での会話、飲み会の会話などは、多くが人と人との関係性検知のための会話ばかりではないか。そうした会話を通じて、人間関係の地図を私たちは作っているということのようだ。

信頼社会においては、相手の立場に身を置く「ヘッドライト型知性」(暗闇をヘッドライトをもとに道を進んでいくためのスキルといったイメージ)が求められるという指摘についても自身の欧州での駐在経験を顧みると納得感高い。赴任当初は、外国人部下をなかなか信頼できず、マイクロマネジメントに走る傾向があった。安心社会で地図型知性を身に着けた私は、ヘッドライト型知性が弱いために、気心知れた日本人部下には丸投げするくせに、安心社会の外では外国人部下を信頼して、任せるということが、できなかったのである。

筆者の持論は、日本の「安心社会」を成り立たせていた条件が、環境変化により維持困難になり、これからは信頼社会を築いていく必要があるというものである。そして、日本人はヘッドライト型の知性を身に着けていくのが大切ということだ。本書を、イギリス駐在前に読んでいれば、もう少し自分のマネジメントスタイルも変わっていたかもしれない。

学び、気づきの多い一冊であった。

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一ノ瀬 俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』 (講談社現代新書、2014)

2023-12-20 14:37:35 | 

 

「日本陸軍とはいかなる軍隊だったのか」について、太平洋戦争において日本陸軍と戦った米陸軍の内部広報誌”Intelligence Bulletin”を紐解き、明らかにした一冊。米軍の内部広報誌という性格上、公平性・客観性には一定の留保が付くものの、戦争前線における日本軍の姿をリアリティを持って知ることができる。

日本の歴史家や作家の著作、また映像などによって、日本軍の非合理的で精神主義な思考や作戦は多々指摘されているところではあるが、米軍からの描写や分析に触れることで、違った角度で知ることができる。犠牲となった兵士たちに思いを寄せると、胸が痛み、読み続けるのが辛かった。

劣悪な傷病者への扱い、捕虜兵から見透ける前線兵士の士気、陸軍の面子に拘った玉砕戦などなど、本は付箋紙とアンダーラインで一杯になったが、本稿に書き残すには重く辛い。

本書では、日本軍をステレオタイプ的な精神主義組織と見做すのではなく、作戦のミクロレベルでの合理性や、白兵突撃一本やりではない作戦や、戦争後期後半には「バンザイ攻撃」も変更になったこと等も具体的に紹介する。一方で、日本兵個人の特徴として、「予想していなかったことに直面するとパニックに陥る、射撃が下手である。自分で物を考えず、「自分で」となると何も考えられなくなる」という日本サイドからは見えにくい米軍サイドの見立てを紹介するなど、新しい知見を提供している。

現代の社会・企業生活に依然残る日本人としての特質も感じる。単に過去の「組織と人間」の事例とするだけでなく、教訓として何を学ぶか。それが読者に問われる一冊だ。

 

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中根千枝(構成=現代新書編集部)『タテ社会と現代日本』講談社現代新書、2019

2023-12-16 10:38:57 | 

講談社新書歴代第2位の発刊数(第1位は渡部昇一『知的生産の方法』)を上げている『タテ社会の人間関係』の続編として、タテ社会の枠組みを活用して現代日本を読み解く一冊。(筆者自身が書いているように、筆者は「タテ社会」という言葉は使っておらず、日本の組織の特徴を「場の共通性に根差したタテ関係が強い小集団」にあると言っているのを、編集側が「タテ社会」という言葉でまとめている)

2匹目のドジョウ感満載であるが、1967年発刊の前著の分析枠組みは今も色あせておらず、前著の復習や理解を深めるのに役立つ(ただ、全体の半分近くが前著の元論文がそのまま掲載されているだけなのは、どうかと思う)。日本を取り巻く環境は大きく変わりつつも、タテ関係の小集団によるデメリットが、長時間労働やいじめと言った現代の社会問題の背景の一つにもなっていることが理解できる。

改めて、デジタル化はグローバルゼーションで日本を取り巻く内外の環境は大きく変わっているが、根っこの特徴はまだまだ根づよく残存していることに気づかされる。

初めて中根さんの本に触れる方は、まず原著『タテ社会の人間関係』を読むのをお勧めしたい。本書は余裕があればで良いかな。

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岡本隆司『中国史とつなげて学ぶ日本全史』東洋経済新報社、2021

2023-12-14 07:30:02 | 

古代から近現代までの日本史を中国との関係で鷲つかみする一冊。書き下ろし形式のエッセイ風の文章なので、大雑把な議論ではあるものの読み易い。

古代から日本が中国の影響を深く受けて来たことは周知だが、改めて日本の歴史を中国・東アジアとの関係の中で概観することで、日本国や日本人の特徴や日中の複雑な関係が理解できる。

古代~平安時代は中国のコピーの時代。そして平安~鎌倉はアジアシステムから離脱し、土着化・土俗化や政治体制の多元化(朝廷と幕府)が起こる。室町~戦国になると、中国や欧州の変革の影響も受けながら、日本の社会構造が大きく変化(地方の経済的独立、生活の拠点が山間部から平野部へ移行、支配体制の入れ替わり等)し、「日本全体の身体の入れ替わり」が起こる。江戸前期(開幕~元禄・享保)時代には都市化や「鎖国」により国家意識が明確に芽生えてくる。享保~開国前夜は、享保の脱中国化が進み、「鎖国」が本格化し、国学が編み出され日本が「凝集」していくという。本格的に日本・日本人のアイデンティティが模索される時期だ。

本書の後半、近代以降は記述もより詳細になる。ねじれた日中関係は入り組んでいて複雑だが、記述も好奇心を刺激される。

例えば、辛亥革命という近代中国を大きく転換させた歴史的事件があったが、本件には明治維新を経験した日本が強い影響を与えていた。

「もともとネーション・ステート(国民国家)」というものに縁のなかった、別個のシステムだった大陸や半島に、国民国家のシステムやノウハウが日本から持ち込まれたことが、今日まで続く構図の原点です。・・・日本という存在があったがために、今日の中国の体制はある。」(pp.248-250)

日中関係史というと、とかく日本が中国から受けた影響が中心となりがちだが、片方向ではなく双方向の関係性をより認識できる。

また、日本の特徴を「凝集」、「一体化」に見出し、それをアジア・太平洋戦争など日本の対外進出の破綻要因としているのも納得だ。

「日本と中国の根本的な違いとして、(官と民が)凝集した日本と官民乖離の中国」がある(p.176)

「日本という存在に特別の価値をもたせ、それを押し付けることでしかアジア各国と渡り合うことができなかった。その尊大な姿勢が、必然的に「皇国」をも「大日本帝国」をも破局に導いたのでしょう。・・・根本的なアイデンティティ、それに基づくアジア各国との接し方に破綻の根源があったことは間違いありません」 (pp.232-233)

教科書的な出来事中心の歴史とは違った視点で、テーマをもって振り返ることで、普段知っているつもりになっていたことがより立体的に見えてくる。勉強になりました。

 

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網野善彦『日本の歴史を読みなおす(全)』 (ちくま学芸文庫、2005)

2023-12-06 07:36:52 | 

いよいよ12月に入り、本年の書き漏れ・残しのエントリーをとりあえずアップしておかないと・・・とのプレッシャー。今年後半は例年以上に読書に時間を割いているのだが、なかなか備忘メモを書く時間が取れず、これから順不動でやっつけの雑な読書記録をアップしたい。

まずは10月に読んだ「日本の歴史をよみなおす(全)」。

中世を日本史の大きな転換点として捉え、貨幣、差別、女性、天皇、荘園、農村などなどのテーマを取り上げ、日本の社会史を描く。数十年前に元版を読んだが、その後続編が刊行され、更に2つをまとめたものが全編として文庫化されている。その文庫版を読んだ。読んだはずの前編もすっかり忘れていた。歴史学的には古典の部類に入るのかもしれないが、私には、日本や日本人を考えるうえで、目から鱗がおちる指摘が満載で超おすすめの一冊である。

目から鱗の一例は、私たちが一般に想定する「百姓」=「農民」の先入観の誤りだ。奥能登地方の家に残された江戸時代の史料を読み解き、「百姓は決して農民と同じ意味ではなく、農業以外の生業を主とした人々-非農業民を数多く含んでいる」ことを示す。百姓とは「百の姓を持つ一般の人民という意味以上のものでもそれ以下のものでもない」のだ。そうした思い込みを捨てて史料にあたり、「日本の社会を農民とともに非農業民まで広く視野に入れて見直すことで、今までとは違った日本の社会・歴史が見えてくる」という(pp254-268)。常識、既定の認知の枠組みを疑う大切さに気付かされる。

また、日本人は、上からの権力に弱く、本音と建て前を使い分けると言われる。その「お上に弱い日本」、「本音と建て前」の使い分けの起源も興味深い指摘だった。「(公)文書の世界での均質性は、明らかに上からかぶさってくる国家の力があり、それに対応しようとする下の姿勢が一方にある。そうした姿勢が、古代以来きわめて根深く日本の社会にある。・・・・表の世界と裏の世界を区別し、表ではこの均質性に対応しようとする姿勢が、室町期以降とくに顕著になってくる。もともとそれが律令国家から端を発している」(pp45-46)。よく言えば、外来の律令をうまく国内で適応させるための術だったことが推察されるが、本音と建前の使い分けは、なんと古代にまで遡るのだ。

偶然だが、この秋、東京国立博物館で開催された「やまと絵」展では、本書で中世の庶民(特に被差別階級)の実態として詳細に解説された「一遍聖絵」が展示されていた。本書とリアル史料としての「一遍聖絵」を合わせ読み/見ることで、より立体的に古代~中世の転換期の庶民の生活様式が垣間見えた。

 

【目次】

日本の歴史をよみなおす

文字について
貨幣と商業・金融
畏怖と賤視
女性をめぐって
天皇と「日本」の国号

続・日本の歴史をよみなおす

日本の社会は農業社会か
海からみた日本列島
荘園・公領の世界
悪党・海賊と商人・金融業者
日本の社会を考えなおす

 

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深井龍之介『歴史思考 世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する』(ダイヤモンド、2022)

2023-11-08 07:30:12 | 

著者の深井さんのことは、あるオンラインの教養プログラムで、東大史料編纂所の本郷教授との日本史についての対談で知った。起業家であり、イケメン。さわやかな語り口で、日本史を含む世界史を縦横無尽に語る姿がなんとも印象的だった。偶然、地元の図書館の返却本の書棚に本書を見つけ、手に取ってみた。

過去の偉人たちの生き様を辿りながら、そこから現代を生きる我々にとっての歴史を学ぶことの意味合いを引き出すつくり。とっても平易な記載なので、読み手の対象は中高生かもしれないが、大人にとっても有意義な内容になっている。取り上げられる人物は、チンギス・カン、イエス・キリスト、孔子、マハトマ・ガンディー、カーネル・サンダース、アン・サリヴァン、武則天、アリストテレス、ゴータマ・シッダールタらである。

例えば、イエス・キリストと孔子の人生から、後世に多大な影響を残した二人だが、個人の人生としては上手くいかなかったこと、世間に迎合しなかったという2つの共通項がある。出来事の良し悪しはその時代では評価できないのだ。

個人的には第3章のケンタッキー・フライド・チキンの創始者カーネル・サンダースのジェットコースター人生に元気を貰った。人生のクライマックスは終盤に現れるのだ。

未来のことは誰にもわからないし、歴史を通じて時代の社会認知/価値観を知る。そうすれば今の当たり前も決して将来の当たり前でないことを知ることができる。「悩んでいる人がたくさんいる現代ですが、そういう人に足りないのは、自分自身に距離を置いて眺めるメタ認知です」(p193)と言い、メタ認知のための比較対象として歴史を学ぶ意義があると伝える。

2時間あれば読める。タイトルから、新しい思考技術や掘り下げた内容を期待すると拍子抜けするかもしれない。私も期待値が高かっただけに、主張を否定することはないが、思いのほかシンプルなメッセージだなあとの感想はあった。それでも、歴史を学ぶ意義について、著者のストレートな見解が提示されているので、学生さんだけでなく、「教養」を身に着けたいと考える若手社会人にも入門本としてお勧めできる。


【目次】
プロローグ 僕たちの「当たり前」を疑え——チンギス・カン
第1章 スーパースターも凡人だった——イエス・キリスト、孔子
第2章 100%完璧な人間なんていない——マハトマ・ガンディー
第3章 人生のクライマックスは終盤に現れる——カーネル・サンダース
第4章 奇跡を起こすのは誰だ——アン・サリヴァン
第5章 千年後のことなんて誰も分からない——武則天
第6章 僕らの「当たり前」は非常識——性、お金、命
第7章 悩みの答えは古典にある——アリストテレス、ゴータマ・シッダールタ
エピローグ——今こそ教養が必要なワケ

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ポール・モーランド (著), 渡会 圭子 (翻訳)『人口で語る世界史』 (文春文庫、2023)

2023-10-26 07:26:30 | 

近代以降の世界史を人口動向を切り口に分析する一冊です。著者はロンドン大学に所属する人口学者であり、アカデミックな裏付けのもと一般向けに書き下ろしたものとのこと。人口は国の経済力や軍事力の要となる要素であり、世界史を動かす1つのドライバーとなってきました。本書はこの200年の近現代世界史を人口を切り口に読み解きます。

人口増加の原動力は、1)乳児死亡率、2)出生数、3)移民 (pp.27-32)であり、国の人口増には一定の傾向があります。近代化によって、経済力がつき、乳児死亡率の低下して人口が増える。その後、平均寿命が延びる一方で、女性の高学歴化等で出生率の低下が起こる。加えて移民による出入りが人口に影響を与えます。

各国の政策、社会、宗教、文化等の違いによる相違はあれど、このパターンは産業革命期のイギリスに始まり、それからドイツとロシア、そしてアメリカ、日本、中国と、この傾向を追いかけてきました。そして、今後40年間はナイジェリアをはじめとするアフリカの人口増が、世界へ最大のインパクトを与えるだろうと予測します。

これまで読んできた世界史、日本史関連の本の中では、人口は部分的に言及されるものの、人口切り口で近現代世界史を振り返るというのは初めてで興味深く読み進めることができました。

日本についても、20ページを割いて徳川期から現在に至るまでの人口動向が解説されています。

「日本はマルサスの縛りを突破した最初の非ヨーロッパ国であり、いまや世界でもっとも高齢化が進んでいる。・・・日本が特に興味深いのは、そこには出生率が低く、高齢化する社会の姿があるからだ。日本の人口は、歴史上最も速く高齢化が進んでいる。」「仕事と育児が両立しない文化、男女格差も先進国最低位に近いことが出生率の低下に結びついている」と分析します。欧米諸国と違って、移民の受け入れを渋ってきたことも要因の一つです。(pp.285-301) 

目新しい論点ではないとは思いますが、西欧の人口学者が世界的・歴史的視点で見ても、日本についての課題認識は同じようです。「だからどうなんだ?」という答えが書いてあるわけではありません。日本はこのまま縮小再生産で良いではないかという議論もあるかと思います。筆者の予測は、高齢者中心の「平和で活気のない社会」になっていくだろうということです。

ただ、これで良いのだろうかという議論は日本国民としては大切な問いかと思います。人口減のトレンドの中で、日本がどこに何を目指していくのか?は考える価値があるでしょう。個人の力でコントロールできる話ではないだけに、政党や政治家が何を言って、どうしようとしているかも知る必要があります。自民党や国の政策の矛盾も見えてきます。

日本レベル、地球レベルで課題はそれぞれ異なりますが、人口動向は近未来を占う上で大事な視点であることを再認識できます。

※単行本は2019年刊

 

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難しい自分課題で地球課題: 堤未果『ルポ 食が壊れる 私たちは何をたべさせられるのか?」(文藝新書、2022)

2023-10-24 12:05:12 | 

堤未果さんのルポルタージュ。今回のテーマは食。人工肉、遺伝子組み換え動物、アグリビジネス、工業型畜産、デジタル農業などの「現場」が報告される。「デジタルテクノロジーによる一元支配が、いよいよ食と農の分野に参入し、急速に勢力を拡大してきている。・・・<食のグレートリセット>がこうしている間に着々と進行している」(pp7-8)中で、「読者が未来を考え、選び取るためのツールを差し出していく」(p8)ことを目的とした本である。

アンチ・企業、アンチ・テクノロジーにとれる舌鋒は相変わらず主観的すぎて読むのがしんどい。筆者や関係者の事実と推測と意見がごちゃまぜになった書き方に加えて、感情が入っているので、読者としては本当に知りたいことが見えにくい。本書はルポであるので、問題の全体像や構造を明らかにするものではないとはいえ、テーマについての掘り下げた分析が無いのは残念だ。

ただ、大事なテーマであることは同感だ。私自身、食とは生きていくための基本的活動であるにも関わらず、その中身についての理解は乏しい。もう少し真面目に考えて、勉強せねばだなとは感じる。

日本をはじめとした各国の草の根の再生型、循環型農業の取組みの事例紹介は参考になった。ただ、どうしてもその影響力・範囲は限定的だ。地球上の80億の人々の養うやり方になるには相当ハードル高い。

これだけ身近な食が、いかに難しい自分課題であり地球課題であることか。

 

  • 目次

    第1章 「人工肉」は地球を救う?―気候変動時代の新市場
    第2章 フードテックの新潮流―ゲノム編集から食べるワクチンまで
    第3章 土地を奪われる農民たち―食のマネーゲーム2.0
    第4章 気候変動の語られない犯人―“悪魔化”された牛たち
    第5章 デジタル農業計画の裏―忍び寄る植民地支配
    第6章 日本の食の未来を切り拓け―型破りな猛者たち
    第7章 世界はまだまだ養える―次なる食の文明へ
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ダメ人間図鑑:W.シェイクスピア、松岡和子(訳)『尺には尺を』(ちくま文庫、2016)

2023-10-17 07:33:32 | 

『終わりよければすべてよし』とあわせて10月に舞台を見る予定のシェイクスピア『尺には尺を』の松岡和子訳を駆け足で読んでみた。

先日、『終わりよければすべてよし』の巻末の前沢浩子氏の「解説」で、「尺には尺を」と「終わりよければすべてよし」はともに、シェイクピアの恋愛喜劇の中でも「ロマンティックな喜劇から逸脱」することから、問題劇とも言われるということを初めて知った。

ただそんなことはお構いなく、観劇前に筋ぐらい把握しておきたいという思いで、ページをめくっていった。第4幕終了までは、婚前交渉の罪で死刑を宣告されて獄中のクローディオをその妹イザベラが救い出す救出ドラマぐらいにしか思っていなかった。それが、最終幕で話がぐっと深堀されて、最後は「こういう落ちなのか~」と驚き、戸惑いの読後感となった。確かに「問題劇」と言われるだけのことはあると、シェイクスピアの仕組んだ様々な意図や解けない暗示に両手を上げて降参した。

少数派だとは思うが、個人的には、謹厳実直、職務にスーパー忠実でありながら、若くて純真無垢のイザベラの訴えに、心動かされ、よろめいてしまう公爵代理のアンジェロに大いに共感した。「なにを聖人君子ぶって、ただのエロ親父ではないか!」と憤る人もいるだろうが、「俺がこうならないと言い切れるか?」と自問する男性もそれなりに居るのではないか。まあ、この物語、駄目人間ばっかりなのだが、その中でもアンジェロはとりわけダメなのである。

読んでいて、この作品、モーツァルトがオペラにしたらどんな音楽を各シーン、各人物につけるのだろうかと頭をよぎった。この一筋縄ではいかない、人間っぽいドラマ。モーツァルトのオペラにぴったりと思うのは私だけだろうか。

演劇では、それぞれの登場人物をどう表現されるのか。ますます楽しみとなった。

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読売新聞大阪本社社会部『情報パンデミック-あなたを惑わすものの正体』(中央公論社、2022)

2023-10-14 07:19:39 | 

米国大統領選やコロナ禍でますます顕在化したフェイクニュースや社会の分断。本書は、「デマや陰謀論を流布する人たちはどんな人たちなのか、真意は何か、信じる人はどういう人で、なぜ信じてしまうのか」について、読売新聞の長期連載「虚実のはざま」の内容を再構成し、加筆したものである。コロナ禍を巡って、当事者への直接の取材に基づいたドキュメント。

昨年読んだ秦正樹『陰謀論』(中公新書)はアカデミックなリサーチをベースにした分析だった。本書はコロナ禍への対応について、個人の具体的事例に拠っている分、よりリアリティ高く、迫力もある。

「誰が信じるのか」という観点では、個人投資家、老舗居酒屋の店主、簡易宿泊所を経営する個人事業主らへの取材が紹介される。多くは「普通の人たち」である。大学が行った調査では、コロナで経済的影響を受けた人ほど誤情報を信じる率が高いなどの相関がみられたという。

「なぜ信じてしまうのか」では専門家へのインタビューが行われる。デマや陰謀論を信じ込みやすい要因に、人が持つ認知バイアスの一つ「確証バイアス」が挙げられる。「観たいものを見て、信じたいものを信じる」という脳の癖だ。さらに、不安やイライラなどの負の感情に対して、原因を、非合理でも単純明快な「答えらしきもの」に引き寄せられてしまう「感情の正当化」の習性をもっている。そして、一旦信じてしまうと、自分が不快に感じる逆の意見や情報に対して、遠ざけたり過小評価を行う「認知的不協和」が働き、ますます頑なになっていくことになる(第3章)。カルト宗教にのめりこむケースと類似性があると感じた。

人としての特性だけでなく、ネット特有の環境も影響を与えている。「エコーチェンバー」(閉じた空間で同じ主義主張が反響し、共鳴しながら増幅される状況)や「フィルターバブル」(アルゴリズムにより見たい情報だけを通過させるフィルターによって、それ以外の情報から遮断された結果、泡に包まれたように孤立してしまう)の影響も大きい。

では、「どんな人が広めている(発信者)のか?」本書では、反科学や政府不信を根っこに、自らの主義主張として情報を拡散するインフルエンサーの医師の事例、また、ネットのアテンションエコノミーを巧みに利用し、まとめサイトで稼ぐ運営者などへの取材がレポートされる。東大の先生によると、動機は「金」「注目を集める」「自分の過去の主張の正当化」「イデオロギー」の4つがあるという。必ずしも金目当ての人だけではないのが難しい。

本書の取材や本書の内容について疑義を挟むものではないし、社会の現状の一側面をレポートした本書の意義は大きいと思う。一方で、ちょっと落ち着かなさを感じたところもあった。こうした「フェイク」情報を信じる人は既存マスコミへの不信もあるとは記載があるが、その不信に対する既存メディアの当事者としての見解は示されていなかった。

既存メディアは、事実の裏をしっかり取り、発信者責任を負うという点において、まとめサイトやSNS上の匿名の情報提供とは一線を画している。ただ、コロナに止まらず、最近の統一教会問題やジャニーズ問題など、マスコミが報じてこなかった大きな社会的イシューがあり、そこに普通の市民は、公正を装った既存マスコミの政治的・組織的な意図を感じている。そうしたところも陰謀論、フェイクニュースに誘因される根っこの一つだと思う。当事者としての筆者たちはどう感じているのだろうか。そこも聞きたかったところである。

事実が共有されない社会は議論、対話が成り立たない。「普通の人」である私が見ている「事実」と別の「普通の人」が見ているもう一つの「事実」は全くの背反で共通項を探すのは難しそうだ。民主主義の変わり目に我々は生きていることを実感する。

 

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不思議ちゃんヘレンの物語:W.シェイクスピア 作、松岡和子 訳『終わりよければすべてよし』(ちくま文庫、2021)

2023-10-12 07:33:43 | 

今月、本作の芝居を見に行くので、予習として読んでみた。シェイクスピアの戯曲は20以上読んではいるが、本作品は初めて。

駆け足で読んでいるので細かい分はまたじっくり精読したいが、読んでいてどうも落ち着かない物語であった。その理由は主人公ヘレンの不思議ちゃんぶりに尽きる。

まずもって、何故、あれだけ自分をっているバートラムを追っかけるのか理解不能である。好青年風ではあるが、一貫性に欠ける(王の前で嘘をつきながら、あっさりと覆す)し、人を見る目も無い(ろくでなしでほらふきのパローレスに大きな信頼を寄せる)。こんな男を追い廻すヘレンは、バートラムの家柄目当てとしてとしか考えられない。そうだとすると、このヘレン、周囲の評価はかなり高い女性であるのだが、男を見る目が無いか、よっぽど打算的な女であると思わずにはおれない。 

また、ヘレンに本当に医学の技術があったのかも謎だ。亡父が名医でその遺産の薬を引き継いだと言うものの、多くの医者たちが治療不可として匙を投げた王を、その薬でいともたやすく王を治癒させてしまう不思議さ。魔法でも使ったのかしら。

さらにこの人、相当の策士である。旦那を取り戻すために、フィレンツェの婦人とその娘ダイアナと3人でグルになってバートラムを騙す仕掛けはとっても良く出来ている。王や伯爵夫人への取り入れ方も見事だ。なんかとってもあざとさを感じてしまうのは、偏見だろうか。

ということで、主人公ヘレンには全く共感できなかった。が、逆に芝居では、このヘレンにどういう性格が当てがわれて、作り上げられるのか。とっても楽しみである。それだけでも予習の意味は十分あった。

 

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人類史鷲掴み!:ジャレド・ダイアモンド (著), 倉骨彰 (翻訳) 『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎(上/下)』 草思社文庫、2012

2023-10-10 07:30:15 | 

読み始めたのは2013年7月。上巻途中で止まったまま、長~いお休み期間を経て、やっと読了。

人類史鷲掴みと言える一冊だ。「世界のさまざまな民族が、それぞれに異なる歴史の経路をたどったのはなぜか。歴史の勝者と敗者を分けた要因は何か?」という命題を探求する。タイトルの『銃・病原菌・鉄』はその違いを生み出した直接的要因だが、本書はこの3点の説明ではなく、なぜを繰り返し、銃・病原菌・鉄を欧州人が手にすることができた根本要因を掘り下げる。

筆者の結論は、「大陸間の差は人々(民族)の差ではなく、環境の差に起因する。環境の中でも栽培化、家畜化可能な動植物の分布、大陸の形態(東西/南北)、大陸間の位置関係、大陸の大きさや総人口の差が現在の差を生み出した」というものである。

進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学などを駆使した論考には圧倒される。議論の射程があまりにも大きいので、この論証がどこまで適切なのかは、正直、私の手に負えるものではなかった。ただ、西洋人が世界を制覇したのは条件に恵まれただけであってたまたまだった、という環境要因論は、安易な人種優劣論、ステレオタイプ的な人種認知に傾くことへの戒めになる。

また、内容もさることながら、問題設定とその論点深堀のアプローチも勉強になる。「直接的な要因」で納得することなく、更にWHYを掘り下げ「究極的な要因」へ至っている。こうした思考姿勢も見習いたい。

一方で、筆者の環境要因説は理解しつつも、文化的特異性や個人的特質が「ワイルドカード」として扱われることには違和感が残った。壮大な人類史の中では、個々の人の努力や創意工夫や天才たちの偉業は大した話ではないということかもしれないが、歴史とはそうした行為の積分値であると思うからだ。「ワイルドカード」で済む問題ではないのではないか。

ピュリッツァー賞、国際コスモス賞、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第一位を受賞した名著とされる書籍だが、私自身が本書の本質をどこまで理解し、その価値をどこまで吸収できたのかは、はなはだ心もとない。

余談だが、気に入ったのはこの表紙。良いなあと思ってたら、「奥付」にジョン・エヴァレット・ミレイとあり、さもありなん。原画を見てみたい。

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座右の書(ビジネス書の部): 三枝匡『決定版 戦略プロフェッショナル 戦略独創経営を拓く』KADOKAWA、2022

2023-10-04 07:26:13 | 

著者の三枝匡氏の著作シリーズは、私の社会人生活の中で最も影響を受けたシリーズと言って過言ではない。中でも本書の原著『戦略プロフェッショナル 競争逆転のドラマ』(1991年刊)は私のキャリアに決定的な影響を与えてくれた書籍である。

私事で恐縮だが、社会人生活3年目、地方の現場フロントでのお客様対応に疲弊して、何を目指して働けば良いのか全く見失っていた時があった。そんな時に、ある人の勧めで手に取った。こういう世界があって、仕事のダイナミクスとは徹底的にロジカルに考えて、熱き心をもってチームを巻き込んで行動し、事をなすとことろにある、と教えてくれた。以来、筆者の著作は出る度に購入したし、自分のキャリアの節目の度に読み直した。

本書は、原著をベースにその後の筆者の実践を踏まえ、新版として全面的に書きなおしたものである。プロローグにあるように、筆者の経験に基づいた事業再生のケースに基づいて語られる「生き方論」であり、「戦略論」であり、「歴史観」である。

ベース・ストーリーは同じだが、原著と本書では趣はかなり異なる。本書は筆者自身の「生き方」や「歴史観」が語られるし、戦略論もより整理されている。ただ、私としては、本書はもちろんのこと、原著にも当たってほしいと思う。新版とは違った30年前の筆者の情熱が迸る気魄を感じることができるからだ。

社会人キャリア後半の今の私には、30年前に原著で感じた理想像と現在とのギャップに自ら苦笑いだが、それでも今もなお、本書から得られる学びは大きい。聞かれたことは無いし、自ら語るようなことでも無いと思うが、仕事上の座右の書とはこういう書を言うのだと思う。


(今も書棚で待機中の原著)

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久しぶりの村上小説:『街とその不確かな壁』(新潮社、2023)

2023-09-13 08:03:03 | 

夏休みの読書として、今年4月に書き下ろしとして発刊された村上春樹の最新作を読んだ。久しぶりの村上小説。

大学生のころ、「羊」3部作の後に読んだ『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』には、その謎めいた世界観に強く魅かれた。その『世界の終わりと・・・』と「並列し、できれば補完しあうものとして」書かれた(あとがき)という本書の読書体験は、私にとっては若き頃の自分を訪ね、そこから現在を照射するようなプロセスだった。

対語や謎のメタファーがたくさん出てくる。「実際の世界」と「壁に囲まれた街」、「本体」と「影」、「影を失うこと」、「夢」、「単角獣」、「身体」と「意識」、「少年との一体化」・・・。それらの意味合いをぼんやりと考えながら、世界に浸るのが心地よい。夏休みのようなまとまった時間でないと、なかなか没入しにくい。

正直、私の読解力と筆力で、本書についての感想をまとめるのは、難しいし相当の時間がかかりそうだ。また、村上小説の楽しさは、感想をまとめるというアウトプット行為よりも、読み進めるインプットの過程そのものにあるとも思う。なので、言い訳めいているが、感想は気が向いたら書いてみたい。

第2部のクライマックスで、主人公は川を上流に向けて流れに逆らって歩いていく。上流に行けば行くほど肉体的に若返り、40代半ばの私から10代の私に戻っていく。作者自身の創作活動がそうだったのではと想像した一方で、私にとっても、本書の読書体験は、川を遡って感覚的に若返っていく経験だった。

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