その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ベルリン紀行 その5 ナチスツアー②

2009-05-27 15:08:37 | 旅行 海外
 続いて訪れたのは、ユダヤ人犠牲者記念館


 中に入って行くと、巨大迷路のようです。


 ヒトラーが最後に自殺した総統官邸総統地下壕があった場所。「ヒトラーはラジオ放送も止めベルリンの総統官邸の地下にある総統地下壕にとどまり、国民の前から姿を消すことになる。」(ウキベキア)




 ゲシュタボ本部があった場所。ナチの時代をパネル展示しています。2010年には記念館ができるとのことです。




 計4時間。たっぷり、第2次大戦末期のベルリンの史跡を歩き回りました。日本では、アジアの視点で大戦を見る癖がついていますが、欧州から見ると、また違った第2次大戦が見えてきます。

 2009年5月24日
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ベルリン紀行 その4 ナチスツアー①

2009-05-27 14:34:45 | 旅行 海外
 ホテルの朝食後、ロビーのフロント横で、何気なく手に取った観光リフレーットに目が引かれました。ベルリン・英語ウオーキングツアー「第3帝国のベルリン ヒトラーと第2次大戦の最終段階」。「これは、行くしかないだろう」ということで、当初予定していた世界遺産「博物館の島」訪問はあっさり取り止めにしました。

 ツオー駅前に集合したのは8名ほど。案内役はケリー。スコットランド出身ということだからなのか、かなり癖のある英語を話します。

 まずは、ナチス「予備軍司令部」があった建物を訪れました。真ん中にいる青年がケリーです。


 ヒトラー暗殺を企てながらも、未遂に終わり、処刑されたドイツ人を祀る記念碑がありました。
「予備軍司令部があったベンドラー街は、シュタウフェンベルク街と改称され、ナチス抵抗運動の記念館が建っている。彼らが処刑された中庭の跡には、象徴としてブロンズ像が置かれている」(ウキベキアから引用)


 近くの建物には、ソ連軍との市街戦の際の銃弾跡が。当時の戦闘の激しさを無言で語ります。


 昨日訪れた「フィルハーモニー」のエリアは、ヒトラーのT4プログラムの推進本部があったところだったそうです。T4プログラムとは、「ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づいて行われた安楽死政(「ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づいて行われた安楽死政策」で、「ドイツ国民の“遺伝的な純粋性”を守るためのものであり、また身体障害者や精神障害者を組織的に根絶するというもの」です(ウキベキアから引用)


 今や足もとにこのプレートが残るのみです。


 ベルリン市内の中央にある公園ティーアガルテンを歩きます


 公園の芝生に腰をおろして、欧州の第2次大戦史について復習です。学生時代に戻ったような感覚です。


 公園内にあるソ連軍関連の記念碑とのことでした。詳しいところは聞き取れなかったです
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