南イタリア物語ー4
K20D 15mm limited
<カテドラーレ>
K20D 15mm limited
カテドラーレの広場では、なぜか、尼さんが子供たちを連れて、踊っています。
K7 43mm limited
K20D 15mm limited
カテドラーレの、このドームを見て、もう一つ気になっていた疑問が解けました。
これまでのヨーロッパの旅で生まれた疑問です。中欧の旅で、マジャール人の文化(ハンガリーの文化)にとてもひかれるのです。西洋的であり東洋的であり、イスラム的であり、いったいマジャール文化とはどういうものだろうか? マジャール文化にどうしてもノルマン文化の影が見えるような気がしてならないのです。これは南イタリアのビザンチン複合文化(困ったことに、なぜかこの複合文化には名前がついていない)が北に上がったのか、バイキングが北から直接マジャール人と接触したのかという疑問をもっていました。第一、ハンガリー文化にノルマン文化が混じっているということはどこにもかいてありません、私が勝手に思っているだけなのですが。
<ハンガリー、エステルゴム大聖堂>
<ハンガリー、エステルゴム大聖堂、ハンガリー・カトリックの総本山>
南イタリアでまじりあった、ビザンチン文化(もともとローマ、ギリシャ文化にイスラム文化が混じってできた)複合文化(さらにイスラム文化とノルマン文化が融合していった)は、イタリアから北に上って、ハンガリーまで到達していたのだ。というのが私の見解です。エステルゴム大聖堂のドームは南イタリアのドームとそっくり、さらに柱の部分をみてください。ギリシャ、ローマのパルテノン宮殿風に作られているのです。
なぜこんなにこだわるのかというと、ヨーロッパを旅すると、いつも感じるのですがヨーロッパの文化は結局、キリスト文明とイスラム文明の対立の<表歴史>、そして世界に四散したユダヤの織り成す<裏歴史>の組み合わせなのです。
<チェコ、プラハ、聖ヴィート教会>
キリスト教は他の宗教を認めずに、どんどんヨーロッパを侵略して、征服した証に、その風土の文化様式を無視して、このゴシック建築の教会をたてます。ですから、ゴシック建築はとても威圧的です。でもよく見てください、中央のドームは中欧に存在していたパターンですし、屋根のタイルも中欧風です。支配されても、どこかに土着の文化をすべり込ませているのです。この抵抗が、文化というものが、歴史というものが、そう簡単に塗り替えられるものではない、混じりながら新しい文化が出来てゆく、これがとても印象的なのです。私がキリスト文化の中心地やイスラム文化の中心地よりもその接点の国に魅力を感じる所以です。ビzザンチン融合文化は、異文化融合の極致みたいな魅力があります。対立する両極端であるキリスト文化とイスラム文化の融合、それも虐げられてではなく、繁栄のなかでの融合です。第三者のノルマンが繁栄のなかで融合させた結果でしょう。このノルマン王はとても有能であったに違いありません。<南イタリアの奇跡>は、ほんの2、3つの寺院にしか残っていないのでしょうか? 憎きは、みんな壊したスペインだ!
<ハンガリー、マーチャーシュ教会>
もっと、マジャール文化を強調した教会です。ハンガリーのジョルナイ焼きタイルで、マジャールを主張している、大好きな教会です。ここでは、完全にマジャール文化がキリスト・ゴシックを飲み込んでいます。
<ハンガリー、ブタペスト、旧郵便局、レヒネル。エデン作>
<ハンガリー、ブタペスト、旧郵便局、レヒネル・エデン作>
東の大建築家、レヒネル・エデンはジョルナイタイルを使って、マジャール文化復活を目指しました。この不思議な建築は、同時代の西の大建築家、スペインのアントニオ・ガウディ―の建築と似ていませんか?
<スペイン、バルセロナ、カサドパトリオ、アントニオ・ガウディ―作>
こんなに離れた地域で同時代に生まれた建築なのに。なぜ、こんなに共通性をかんじるのだろうか。偶然か、彼らの間に何らかの情報の流れがあったのか? いずれも典型的ゲルマン・キリスト教・ヨーロッパの文化とはとっても異なります。 今回の南イタリアの旅に期待した、これらの疑問は、パレルモの<カテドラーレのドーム>一つで、みな解けてしまいました。スペインのガウディ―の情報はハンガリーのレヒネルまでイタリア経由で届いていたに違いない。ビザンチン融合文化の波がつくった経路に乗って。
かくて、わたしが南イタリア、シシリー島まで来た目的は、その初日の午前中に全て達成されてしまったのです。これで、スペイン、フランス、中欧、南イタリアの旅の連続性とあの添乗員さんの影響のお話は終わりです。すいぶんと寄り道してしまいました。
さて、<カテドラーレ>をバスで後にします。去り際に撮った、この3枚の写真は、気に入っています。ツアーですと、みんなで、さあここで写真をとってくださいというぐあいで、だれが撮っても同じ写真になってしまいます。面白い写真を撮るにはバスから撮るしかありません。でもこれはとても難しい。窓は反射するし、障害物は入り込むし、一瞬で捉えなければならない。でもこの写真に限っては、バスでしか撮れないアングルなのです。
K7 43mm limited
K7 43mm limited
K7 43mm limited
<カテドラーレ>のドームの本体が写っています。
<ハンガリー、ブタペスト、国会議事堂>
ハンガリーの国会議事堂と見比べてください。ビザンチン様式だから、同じようであたりまえ、などとロマンの無い話はしないでください。
また話がスレでしまいました。
私のノルマン文化の追っかけは忘れて、南イタリアの旅に戻りましょう。
K20D 15mm limited
<カテドラーレ>
K20D 15mm limited
カテドラーレの広場では、なぜか、尼さんが子供たちを連れて、踊っています。
K7 43mm limited
K20D 15mm limited
カテドラーレの、このドームを見て、もう一つ気になっていた疑問が解けました。
これまでのヨーロッパの旅で生まれた疑問です。中欧の旅で、マジャール人の文化(ハンガリーの文化)にとてもひかれるのです。西洋的であり東洋的であり、イスラム的であり、いったいマジャール文化とはどういうものだろうか? マジャール文化にどうしてもノルマン文化の影が見えるような気がしてならないのです。これは南イタリアのビザンチン複合文化(困ったことに、なぜかこの複合文化には名前がついていない)が北に上がったのか、バイキングが北から直接マジャール人と接触したのかという疑問をもっていました。第一、ハンガリー文化にノルマン文化が混じっているということはどこにもかいてありません、私が勝手に思っているだけなのですが。
<ハンガリー、エステルゴム大聖堂>
<ハンガリー、エステルゴム大聖堂、ハンガリー・カトリックの総本山>
南イタリアでまじりあった、ビザンチン文化(もともとローマ、ギリシャ文化にイスラム文化が混じってできた)複合文化(さらにイスラム文化とノルマン文化が融合していった)は、イタリアから北に上って、ハンガリーまで到達していたのだ。というのが私の見解です。エステルゴム大聖堂のドームは南イタリアのドームとそっくり、さらに柱の部分をみてください。ギリシャ、ローマのパルテノン宮殿風に作られているのです。
なぜこんなにこだわるのかというと、ヨーロッパを旅すると、いつも感じるのですがヨーロッパの文化は結局、キリスト文明とイスラム文明の対立の<表歴史>、そして世界に四散したユダヤの織り成す<裏歴史>の組み合わせなのです。
<チェコ、プラハ、聖ヴィート教会>
キリスト教は他の宗教を認めずに、どんどんヨーロッパを侵略して、征服した証に、その風土の文化様式を無視して、このゴシック建築の教会をたてます。ですから、ゴシック建築はとても威圧的です。でもよく見てください、中央のドームは中欧に存在していたパターンですし、屋根のタイルも中欧風です。支配されても、どこかに土着の文化をすべり込ませているのです。この抵抗が、文化というものが、歴史というものが、そう簡単に塗り替えられるものではない、混じりながら新しい文化が出来てゆく、これがとても印象的なのです。私がキリスト文化の中心地やイスラム文化の中心地よりもその接点の国に魅力を感じる所以です。ビzザンチン融合文化は、異文化融合の極致みたいな魅力があります。対立する両極端であるキリスト文化とイスラム文化の融合、それも虐げられてではなく、繁栄のなかでの融合です。第三者のノルマンが繁栄のなかで融合させた結果でしょう。このノルマン王はとても有能であったに違いありません。<南イタリアの奇跡>は、ほんの2、3つの寺院にしか残っていないのでしょうか? 憎きは、みんな壊したスペインだ!
<ハンガリー、マーチャーシュ教会>
もっと、マジャール文化を強調した教会です。ハンガリーのジョルナイ焼きタイルで、マジャールを主張している、大好きな教会です。ここでは、完全にマジャール文化がキリスト・ゴシックを飲み込んでいます。
<ハンガリー、ブタペスト、旧郵便局、レヒネル。エデン作>
<ハンガリー、ブタペスト、旧郵便局、レヒネル・エデン作>
東の大建築家、レヒネル・エデンはジョルナイタイルを使って、マジャール文化復活を目指しました。この不思議な建築は、同時代の西の大建築家、スペインのアントニオ・ガウディ―の建築と似ていませんか?
<スペイン、バルセロナ、カサドパトリオ、アントニオ・ガウディ―作>
こんなに離れた地域で同時代に生まれた建築なのに。なぜ、こんなに共通性をかんじるのだろうか。偶然か、彼らの間に何らかの情報の流れがあったのか? いずれも典型的ゲルマン・キリスト教・ヨーロッパの文化とはとっても異なります。 今回の南イタリアの旅に期待した、これらの疑問は、パレルモの<カテドラーレのドーム>一つで、みな解けてしまいました。スペインのガウディ―の情報はハンガリーのレヒネルまでイタリア経由で届いていたに違いない。ビザンチン融合文化の波がつくった経路に乗って。
かくて、わたしが南イタリア、シシリー島まで来た目的は、その初日の午前中に全て達成されてしまったのです。これで、スペイン、フランス、中欧、南イタリアの旅の連続性とあの添乗員さんの影響のお話は終わりです。すいぶんと寄り道してしまいました。
さて、<カテドラーレ>をバスで後にします。去り際に撮った、この3枚の写真は、気に入っています。ツアーですと、みんなで、さあここで写真をとってくださいというぐあいで、だれが撮っても同じ写真になってしまいます。面白い写真を撮るにはバスから撮るしかありません。でもこれはとても難しい。窓は反射するし、障害物は入り込むし、一瞬で捉えなければならない。でもこの写真に限っては、バスでしか撮れないアングルなのです。
K7 43mm limited
K7 43mm limited
K7 43mm limited
<カテドラーレ>のドームの本体が写っています。
<ハンガリー、ブタペスト、国会議事堂>
ハンガリーの国会議事堂と見比べてください。ビザンチン様式だから、同じようであたりまえ、などとロマンの無い話はしないでください。
また話がスレでしまいました。
私のノルマン文化の追っかけは忘れて、南イタリアの旅に戻りましょう。
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