人種差別待遇に奮発
ジャワを離れてから3年たった。オランダのビジネスも軌道に乗ってきたので、ラウラと正式に結婚することにした。アキラが23歳、ラウラ20歳の年だった。
ラウラの父親が神父をしているジャワで式を挙げ、晃の父親がいる沼津で披露宴を行った。それからあわただしく太平洋を船でアメリカにわたり、サンフランシスコから大陸横断鉄道に乗車した。ニューヨークでビジネスを済ませ、やっとロンドン行きの船に乗った。ハネムーンがビジネス旅行になったので、ラウラは機嫌が悪かった。せっかくだからと奮発して、キュナード・ライン社の豪華客船「アルバニア号」の乗客となった。
「すばらしい船だわ」とラウラの気分が変わってきたので、晃はホッとした。
毎夕、晩餐の後、美しい音楽が奏でられ、ダンスが催された。白人のカップルは踊りを楽しんでいたが、どうも気に入らないことがあった。晃とラウラの食事の席は、いつも大きな食堂の片隅にセッティングされた。抗議をしたが、満席を理由に変えてもらえなかった。
「あなたが有色人種だからだわ。」
ラウラの皮肉が、晃の心に重くのりかかった。「そうではないだろう。」と思いたがったが、厳然たる差別があった。鬱々とした気持ちで、毎日、船内の図書室にこもって、オランダ語と英語の比較文法書を執筆した。ラウラの機嫌は、ますます悪くなっていった。
「口惜しいな。」
当時、有色人種への差別はいたるところにあったが、こういった特権階級の場では露骨だった。今に見ろ、白人など何するものか。晃の心に強い反発心がわきあがってきた。
ちなみに、キュナード・ライン社は英国の有名な客船会社で、クイーン・エリザベス号やクイーン・メリー号、クイーン・ビクトリア号といった客船の運用をしている。現在ではこのような差別はないと思うが、1924年大正13年の頃は、有色人種に対するあきらかな差別待遇があった。
つづく