シベリア鉄道にて満州国へ
春の風が大地を渡り、緑の草原が音楽を奏でる。
長い冬に閉ざされていたシベリアの大地は、命の息吹にあふれている。
車窓から見る風景は、単調だが見る者の目を楽しませた。生きて日本に帰れるという喜びが、晃たちの心を明るくしていた。時々、列車が軍用施設に差しかかると、兵士がやって来て黒いカーテンを引いた。日本人には知られたくない情報があるのだろう。
ところどころに点在する村で列車が止まる。すると、付近の農民たちが集まってきて、青空市場が始まる。モスクワから持参した色の白いパンが人気で、彼らが持参した搾りたての牛乳や生みたての卵と交換することができた。田舎に住む農民にとって、モスクワで作られた白くて柔らかいパンはとても魅力的だ。村で焼くパンは、生焼けでまずい。農民たちの顔が微笑む。このような風景は、戦時中であることを忘れさせる憩いのひと時となった。
ひたすら走り続けた列車が、イルクーツク駅に到着した。世界最大の湖、バイカル湖のそばにあるこの町は、17世紀の中ごろにコサックたちによって建設された。しばしの休息を許された晃たちは、バイカル湖にでかけた。海のように巨大な湖の浜辺に、大きな波が打ち寄せていた。3000万年前に作られた世界最大の湖を見ていると、人間が引き起こした戦争のむなしさを痛感する。
はるばるモスクワから1週間もかかって、やっとこの地までたどり着いたのだ。実に広大な土地と、多数の民族を統治しているソビエト連邦の大きさに圧倒される思いだった。ナポレオンもヒットラーも敗れた原因が少しわかったような気がした。ロシア人が持つ忍耐力と強じんな精神が、他の民族を圧倒しているのだ。
再び列車に乗って東進し、内蒙古にある満州里に到着した。モスクワを発って10日がたっていた。この地は、1938年にいわゆるオトポール・満州里事件が起こった場所としてよく知られていた。ヒットラーに追われた数多くのユダヤ人が続々と避難してきて、満州国に受け入れを希望したのだ。世界のほとんどの国が受け入れを拒否したユダヤの民を、自らの職を賭して救ったのは、ハルビン特務機関の長であった樋口季一郎少将であった。
彼がしたためた上申書は、当時の日本人の心意気だった。
「小官は小官のとった行為を決して間違ったものではないと信じるものです。満州国は日本の属国でもないし、いわんやドイツの属国でもないはずである。法治国家として、当然とるべきことをしたにすぎない。たとえドイツが日本の盟邦であり、ユダヤ民族抹殺がドイツの国策であっても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいかない。」
晃たちは、ここ満州里で列車を乗り換え、新京(長春)へ向かった。
つづく
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