DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その19

2012-11-25 23:23:40 | 物語

新たなミッション

ベルリンに着いた晃は、早速、南米各国の大使館に行き、ビザの取得の申請を行った。そして、南米で買い付けた食料を、日本からシベリア鉄道経由でオランダに輸送することを確認するために、日本大使館へ出かけた。晃と面談した大島大使は、開口一番こういった。

「鳥沢さん、大変だ。ドイツが本日、ソ連との不可侵条約を破棄してウクライナに侵攻しました。」

「えっ、ではシベリア鉄道が使えなくなったのですか。」

「そうです。それどころか、日本の参戦もあるかもしれません。」

1941年6月のことだった。なんということだ。これでは、欧州大陸はますます孤立していくではないか。オランダ国民に、食料が届かないことをどう説明したらよいのだ。晃は困惑してしまった。

「鳥沢さん、食糧輸送の件は大変残念ですが、あきらめてください。でも、せっかくベルリンへおいでになったのだから、ぜひお願いしたいことがあります。」

「なんでしょうか。」

「実は、インドネシアからオランダに留学している学生の安否について問い合わせが日本の軍司令官あてに来ているのです。留学生がドイツ軍に徴兵されているという噂がインドネシアで広まっておるようなのです。実際、仕送りも出来ないようです。なんとか学生たちの安否を確認していただきたいのですが。オランダにいる日本人は、あなただけなのです。」

「そうですか。それは困ったことですね。私に出来ることでしたら、やってみましょう。」

食料を輸送する代わりに、386名の留学生の名簿をもらってロッテルダムに帰ることになった。しかし、この任務は思ったほど楽ではなかった。というのは、インドネシアからの留学生はすべて、ドイツの徴兵を恐れて地下にもぐっていたからだった。もらった下宿の住所には、誰もいなかった。

晃は、それでもあきらめないで、オランダ全国を探し回り、一人ひとりの安否を確認した。というのは、彼らの間にはネットワークがあり、一人見つけ出したら、芋ずる式に隠れ場所がわかったからだった。また、困窮にある留学生には必要な面倒を見てやった。そして、その結果を逐次、ベルリンの日本大使館に連絡した。

ちなみに、このときロッテルダム商科大学に在籍した留学生は、後にインドネシアの貿易大臣になったそうだ。

つづく


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