面白くもない真面目な話
先日の中日新聞にこんな記事が掲載された
「事業仕分け」と「自分ごと化」を扱ったものだ
事業仕分けは「2番じゃ駄目なのですか?」
と蓮舫さんが、スパコンの性能追求にお金がかかりすぎることに対して
口出しをしたことで有名になった経費の削減作業だ
以前なにかの機会に、市の職員(税務課だったかな)と話した時に
「各部署で被ったお金んお使い方があるから
本当は事業仕分けみたいなものはしたほうが良い」
と言われたことが頭に残っていたから、この記事がすんなり目に入った
市議会は一般質問よりも予算・決算会議の方がお金の使い道がわかって興味深い
だがこの委員会は大半の場合、傍聴者はいない
それでも一般質問以上に必要な情報提供の場だから
何とかして市民の目や耳に入ることは必要と思っていた
そして、一月ほど前の議会報告会では「予算決算委員会のインターネット中継」
の進捗状況を聴いたことがあった
(去年は議会改革検討会議で進められていると答えていた)
今年は、インターネット中継にかかるお金を予算要求している
と議員さんは答えたが、果たしてこれが実現されるか見ものだ
一般的によほどの事がない限り市の予算は可決される
予算案の中にひとつふたつ芳しくないものがあったとしても
予算を一括して賛否を問うものだから、速やかな予算執行をするために
議会も承認してしまうようだ
でも気に入らない2つ3つの予算は、仕方ないで済ませて良いのだろうか
行政でも議員でもない庶民は、それに対して物を言う方法がない
そこで登場するのがここにある「無作為抽出の市民を混じえた集団による事業仕分け」だ
と言っても、記事からは概念的にわかるだけで、実際はどのように運営され
そこで発生する問題点は何なのかはわからない
良いことかもしれないが、実際にこの方法で行われる事業仕分けは
感情的にリアリティを持ったものになりうるのだろうか、、と少し不安がある
経験的に思うことは、世の中にあるいろんな問題を「自分のこととして考える」
ことが何よりも必要だということだ
この事業の導入に力を注いでいる一般社団法人構想日本では
HPを調べてみると「自分ごと化」という言葉で庶民の啓蒙を
「事業仕分け」と同様に進めていくべき運動としている
人が真剣になるのは、自分の身に何かが起きた時だ
痛い思いをしないとわからないのが人の常だが
それでは遅すぎることが多い
だから庶民は想像力を働かせて「自分のこととして考える、自分ごと化」
が必要と実感する
新城市では南部企業団地の悪臭は、その地区の人達には重要な問題だが
他の地区の人にとっては「自分ごとではない」ので無関心のままだ
自分ごととして考えるには、想像力の他に共感力(同情する力)が必要かもしれない
こうあったら良いな、、と思うことはいろいろある
ところが、それをするためには何をしたら良いのかわからない
というのが現状だ
まずは、この方法で事業仕分けの実行した地域の人と連絡を取ってみようか
あとは仲間を増やさねば、、、(だがこれが難しそう)