パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

わかりやすさの罠

2023年03月04日 08時09分40秒 | あれこれ考えること

先日の名古屋モーツァルト協会の人との話の中で
クラシック音楽を楽しむのは老人ばかり!との話がでた
確かにコンサート会場には自分と同じくらいの年齢の人が多く
若い人の姿は少ない
なぜなんだろう?と少し考えてみた
それは、わかりやすいかどうかという点にあるのではないか
と仮定できるような気がする

最近の若者の流行りといえばインスタグラムとかを始めとするSNS
SNSでなくても、ここのブログでも写真を多く使った投稿が圧倒的に多い
視覚に訴える要素がないと多くの人にウケないと想像できる
人の情報は視覚からが圧倒的に多く、見たものは何よりも優先される

クラシック音楽に欠けているのは視覚的要素だ
目に入るのは演奏者の姿だけで、多くの場合、長い時間辛抱を要求される
歌があって歌詞を聞き取れる場合とか、ディスプレイに歌詞が映る場合は
それを見てイメージすることができるが、楽器の演奏のみの純音楽
という分野は音だけで成り立っているので抽象的に思えてしまう

何事も慣れが肝心で、こうした音楽も慣れればそれなりに楽しめると思うが
問題は慣れるほど聴こうと思えないというところだろう
長くて、イマイチ生活感と関係のない世界で、時に感傷的なメロディもあるが
大半は抽象的な世界に終止する世界を楽しむのは難しい
つまりわかりにくいとか親しみにくい存在なのだろう

話は飛ぶが、水墨画は文字通り墨の黒だけで描かれた絵だが
墨にもいろんな色があって、黒くても青空を連想させるような色もある
(見る人の想像力を刺激しているのだと思う)
それは卓越した技術とか墨の選択の妙のおかげだが
人が絵を楽しむには、そんな高度な技術を用いなくても
最初から色のついたものを用いれば、見る人に想像力が無くても楽しむことはできる

つまりは、わかりやすい情報は人に伝わりやすいということで
深く伝わるかどうかは疑問の余地があっても
わかりやすいことは何よりも優先されることが今の風潮なのではないか

本読みは映画化されたものより、自分が読んだ本の世界の方が良いと
答える人が少なくないが、自分のイメージした世界のリアリティは
与えられたものよりも切実なのだろう
楽しむだけなら本読みよりも楽ちんなのは映画を見ることで
活字がページにいっぱい詰まった面倒くさい読書などしなくて済む

本を読むことと、クラシック音楽に親しむことは案外似ているかもしれない
どちらも楽しむにはそれなりの苦労が必要だということ
両者とも作品に向かうには集中力と想像力が必要だ
慣れればその瞬間こそが面白いと感じられるのだが
慣れないとただ面倒くさいで終わってしまうのではないか

そこで現代批判となるのだが、現代の風潮の一つである
わかりやすいということは何よりも優先されることなのか?
をあえて考えるべきでないかと思う

昔の若者は、「良い格好しい」が多く、読みもしない哲学書とか
朝日ジャーナルを見せびらかす様に持参したらしいが
今の若者はどうなんだろう

若者は疾風怒濤をいつの時代も経験するのだろうか
身の回りには若者がいないのでイマイチかわからないが
わかりやすさの罠に引っかからないで欲しいと思ったりする

相変わらず、まとまりのない変な話!






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