吉田秀和氏はフルトヴェングラーが亡くなった時
ヨーロッパが終わった(だったかな?)と感じたらしいが
自分はマーラーの九番の交響曲を聴くと
ヨーロッパの世界の黄昏を感じてしまう
特に最初の楽章と、終楽章
(もっとも真ん中の楽章はそんなにいいと思わないし
自分にとって退屈)
この曲は絵画的とは言わないが、小説的なストーリー仕立ての
音楽の印象を受ける
高校時代は、イケイケ!やれやれ、もっとやれ!
と第一楽章のクライマックス部分に拍手したが
いつの頃からか聞かなくなった
バーンスタインが来てこの九番の交響曲だけのプログラムを
聴きに行ったことがあったが、自分のコンディションが悪かったせいか
全然感動しなかったし、記憶に残っていない
とは言え、たまにユーチューブなどで聴いてみると
やっぱりそれなりの曲に思える
ところで九番の交響曲といえばベートーヴェンだが
自分にとって思い出深いのがブルックナーの九番
レコードショップでマーラーの巨人とブルックナーの九番の
試し聴きをして(その時はどちらの曲も全然知らなくて初めて耳にする音楽だった)
そこでブルックナーの不思議な響きに圧倒されてしまい
そこからブルックナー狂いが始まった
しかし、九番の交響曲は実演ではどうもいい経験をしたことがない
確か二度ほど聴いたことが有るはずだが
流れすぎて何も残らない感じ
(レコードで聴くと本当に浸ることができるのに)
最近は第3楽章の寒々とした
(クレンペラーの演奏は初めて聴いた時そんな気がした)
テーマを聴き比べるのが面白くて、いろんな指揮者のを聴いている
この九番はマーラーとそれと違って
ヨーロッパとか時代をあんまり意識することがない
ただ響き・音楽が有るだけ
それは何時の時代でも通用しそうな感じがするのは
自分がブルックナーが好きなだけの錯覚だろうか?
好きな演奏は、評判のシューリヒトではなく
クレンペラーのもの(特に第3楽章)
ドホナーニも案外好き
ショルティもイメージとは違って案外イケる
終楽章を録音したラトルは、うーーん
もう少し年令を重ねてから聴いてみたいかな
ヨーロッパが終わった(だったかな?)と感じたらしいが
自分はマーラーの九番の交響曲を聴くと
ヨーロッパの世界の黄昏を感じてしまう
特に最初の楽章と、終楽章
(もっとも真ん中の楽章はそんなにいいと思わないし
自分にとって退屈)
この曲は絵画的とは言わないが、小説的なストーリー仕立ての
音楽の印象を受ける
高校時代は、イケイケ!やれやれ、もっとやれ!
と第一楽章のクライマックス部分に拍手したが
いつの頃からか聞かなくなった
バーンスタインが来てこの九番の交響曲だけのプログラムを
聴きに行ったことがあったが、自分のコンディションが悪かったせいか
全然感動しなかったし、記憶に残っていない
とは言え、たまにユーチューブなどで聴いてみると
やっぱりそれなりの曲に思える
ところで九番の交響曲といえばベートーヴェンだが
自分にとって思い出深いのがブルックナーの九番
レコードショップでマーラーの巨人とブルックナーの九番の
試し聴きをして(その時はどちらの曲も全然知らなくて初めて耳にする音楽だった)
そこでブルックナーの不思議な響きに圧倒されてしまい
そこからブルックナー狂いが始まった
しかし、九番の交響曲は実演ではどうもいい経験をしたことがない
確か二度ほど聴いたことが有るはずだが
流れすぎて何も残らない感じ
(レコードで聴くと本当に浸ることができるのに)
最近は第3楽章の寒々とした
(クレンペラーの演奏は初めて聴いた時そんな気がした)
テーマを聴き比べるのが面白くて、いろんな指揮者のを聴いている
この九番はマーラーとそれと違って
ヨーロッパとか時代をあんまり意識することがない
ただ響き・音楽が有るだけ
それは何時の時代でも通用しそうな感じがするのは
自分がブルックナーが好きなだけの錯覚だろうか?
好きな演奏は、評判のシューリヒトではなく
クレンペラーのもの(特に第3楽章)
ドホナーニも案外好き
ショルティもイメージとは違って案外イケる
終楽章を録音したラトルは、うーーん
もう少し年令を重ねてから聴いてみたいかな