みんなが言うことは正しいか?
それを考えるのに良い例が食べ物に関すること
美味しい、まずいは食べた人にしかわからない
いくら上手な表現をされても、どうもまどろっこしい
「素材の味が、、、、」「柔らかくてジューシーで、、」「バランスが良くて」
よく使われる定番化された言葉だが、つくづく食べた人にしかわからないものだと思う
おいしいとされる食事の店は列ができる
列のできる最初のきっかけは誰かがそう言ったのだろうが
ある段階から加速度的にその情報は拡散する
最近はぐるなびなどが比較対象の根拠になっているらしいが
昔は「タクシーの運転手が旨いと言った店は旨い」
これは確かにそうだな、、と実感した
豊橋の餃子やさんは、タクシーの運転手さんの情報を信じて正解だった
現在、列ができるような名古屋めしのある店
自分はへそ曲がりで素直にこの手の情報は信じないし、だいいち並んでまで
食べたいと思うことはない滅多にない
それでも、一回は食べてみた
だが、並ぶまでのことか、、、それが実感
で、感じるのはみんなが旨いということは、必ずしも旨いとは限らないかもしれない
と感じるわけだ
美味しいと評価できる食通とは、毎日同じ料理を食べても最初に食べたものと最後に食べたものを
同じように評価できる人らしい
誰かが美味しいと言って、それを信じる人が多くなって、列ができる
これはベストセラー小説にも言えるかもしれない
本の選択はベストセラーか否かがある人たちには判断材料になるが、
本読みはあまりベストセラーを読まないと思う
本読みはこうした情報よりも自己の内的な衝動に従って運命であるかのように
読むべき本に出会う
ということで、偏屈者は世間の評判や噂を安易に信じないということ
(付き合いにくい、、、と思われてるかも)