正直すぎる
言われたことを実行しているだけで対応力がない
これは先のワールドカップで指摘された日本の弱点
もっともこれ以前にも同じことは言われ続けてきた
確かに感じるのは個々の選手のひ弱さと発想力のなさ
しかし、これを考えると結構いまの日本の社会の縮図的な面も
浮き上がってくる
それはなにか
日本は促成栽培の国
答えが先に進むものが指し示してくれることが可能な場合は
必死になってその答えを追い求めようとする
効率的に、コストを掛けず
サッカーでも前々回の優勝国スペインのパスサッカー
ポゼッション・サッカーをお手本に
スペインがその戦術に至った歴史や体験を無視して
最新の良きものとして取り入れようとした
一見無駄のないようなこの考え方自身が実は大きな間違いではないのか
話は飛ぶが、ある時何かの裁判の話になった時
誰かが日本ではその命令を下した人が罪を問われることが多いが
欧米ではそれを実行した人が罪に問われる事が多い
なぜなら個人として判断力を持っていたはずだから
言われたことをそのまま行うということは考えにくい、、、
つまり、欧米は自分の考えを自分で持ち
その行動には自分自身が責任を持つことが
当たり前のようになっている
しかし日本はどうも本質的なことを考えたり
自分なりに考えることは得意でないというか、避けられているかのようだ
結局、自分は何をすればいいのか
この単純化作業意識は結構仕事の場面でも見られる
仕事全体の流れから自分のすべき事を判断するより
とにかく自分の役割部分だけを頭に入れ、余分なことを覚えたり考えたりするのは
無駄なこととしてひたすら自分の責任の範囲内だけで完璧に仕事をしようとする
時に前後関係を気にする人物が出てきて
後先の事も配慮して行うように!
と訓示を垂れるが、それは精神論に終始することが多い
もっとも仕事に限ればもしかしたら外国もそんなものかもしれない
さて話はサッカーに戻って、問題なのは
いつまでたっても日本はいいとこ取りの癖が抜けないということ
ひ弱な面も、応用力のなさ これらが問題視されるようになるのは
育成時代に余りにも教えられすぎているからではないか
と思う
フィジカルの弱い日本人はコンタクトを避けるべくパスサッカーを目指す
練習も当たりに来る前にパスをしたりパスコースをつくる練習をしたりする
しかし、サッカーは相手があってのこと
日本人同士ならあたりに行っても交わされるから強めにプレスには行かないことが多くても
めったに闘うことのない国はまずは早いプレスにいく
その時緩いプレスに慣れている日本人は果たして正確なプレーが出来るか
また外国人が相手だと日本人なら通るパスが脚が長かったり
瞬発力が凄いために通らないことがある
またボール奪取に関しても相手の選手のリーチが長いために
日本人の時と比べてなかなかうまく奪えない
外国人がボールキープに優れているのは多分
単にフィジカルの問題だけではない
彼らは身にしみてボールを取られないボールの持ち方、体の使い方を知っている
そしてそれは個々の選手の体格、筋肉の質などからそれぞれ違ったものになる
これらは体験を通じて身につけたもの
工夫、知恵、そういったものと言えるかもしれない
しかし日本はこの体験から身につける知恵や工夫が余りにも
少ないのではないか
こう来たらこうして対応する
日本は緊急時にはマニュアルで応対しようとする
しかし、マニュアル以上の何かが来たらどうしようもない
結局は個々のポテンシャルを上げていかなる状況下でも
普通にプレーできる技術、知恵、工夫が必要ということ
育成時代ごく幼いうちは相手がボールを持っていると
どうしてもボールを取りに行きたくなる
すると交わされてかえって相手に楽になるから
指導者は無闇に飛び込むな
と教える
しかしこの無闇に飛び込むな!
と言う助言はもう少し後でもいいのかもしれない
と思ったりする
つまり飛び込んで交わされた子は何度も同じ経験をするうちに
徐々に体が慣れていってボールを取る瞬間を発見できるようになったりする
また言われなくても飛び込まないほうが良さそうだと実感するようになる
こうした個々の選手の歴史の中で技術や知恵、工夫は身についていくものだが
どうしても日本は教えられると言う傾向が強い
とここまで不満をタラタラ書いたところで
これが今後大きく変わるとは思えない
ただ今回のワールドカップの結果を踏まえると
問題は育成時代から何とかしなきゃと思ったのは自分だけではないと思う
良い指導者
勝つためだけでなく、真にレベルを上げるための問題意識を持った指導者
そういう人たちが多くならないと日本はまだまだ上には行けない気がする
なんでも急に良くなるなんてことは無理なのだ
言われたことを実行しているだけで対応力がない
これは先のワールドカップで指摘された日本の弱点
もっともこれ以前にも同じことは言われ続けてきた
確かに感じるのは個々の選手のひ弱さと発想力のなさ
しかし、これを考えると結構いまの日本の社会の縮図的な面も
浮き上がってくる
それはなにか
日本は促成栽培の国
答えが先に進むものが指し示してくれることが可能な場合は
必死になってその答えを追い求めようとする
効率的に、コストを掛けず
サッカーでも前々回の優勝国スペインのパスサッカー
ポゼッション・サッカーをお手本に
スペインがその戦術に至った歴史や体験を無視して
最新の良きものとして取り入れようとした
一見無駄のないようなこの考え方自身が実は大きな間違いではないのか
話は飛ぶが、ある時何かの裁判の話になった時
誰かが日本ではその命令を下した人が罪を問われることが多いが
欧米ではそれを実行した人が罪に問われる事が多い
なぜなら個人として判断力を持っていたはずだから
言われたことをそのまま行うということは考えにくい、、、
つまり、欧米は自分の考えを自分で持ち
その行動には自分自身が責任を持つことが
当たり前のようになっている
しかし日本はどうも本質的なことを考えたり
自分なりに考えることは得意でないというか、避けられているかのようだ
結局、自分は何をすればいいのか
この単純化作業意識は結構仕事の場面でも見られる
仕事全体の流れから自分のすべき事を判断するより
とにかく自分の役割部分だけを頭に入れ、余分なことを覚えたり考えたりするのは
無駄なこととしてひたすら自分の責任の範囲内だけで完璧に仕事をしようとする
時に前後関係を気にする人物が出てきて
後先の事も配慮して行うように!
と訓示を垂れるが、それは精神論に終始することが多い
もっとも仕事に限ればもしかしたら外国もそんなものかもしれない
さて話はサッカーに戻って、問題なのは
いつまでたっても日本はいいとこ取りの癖が抜けないということ
ひ弱な面も、応用力のなさ これらが問題視されるようになるのは
育成時代に余りにも教えられすぎているからではないか
と思う
フィジカルの弱い日本人はコンタクトを避けるべくパスサッカーを目指す
練習も当たりに来る前にパスをしたりパスコースをつくる練習をしたりする
しかし、サッカーは相手があってのこと
日本人同士ならあたりに行っても交わされるから強めにプレスには行かないことが多くても
めったに闘うことのない国はまずは早いプレスにいく
その時緩いプレスに慣れている日本人は果たして正確なプレーが出来るか
また外国人が相手だと日本人なら通るパスが脚が長かったり
瞬発力が凄いために通らないことがある
またボール奪取に関しても相手の選手のリーチが長いために
日本人の時と比べてなかなかうまく奪えない
外国人がボールキープに優れているのは多分
単にフィジカルの問題だけではない
彼らは身にしみてボールを取られないボールの持ち方、体の使い方を知っている
そしてそれは個々の選手の体格、筋肉の質などからそれぞれ違ったものになる
これらは体験を通じて身につけたもの
工夫、知恵、そういったものと言えるかもしれない
しかし日本はこの体験から身につける知恵や工夫が余りにも
少ないのではないか
こう来たらこうして対応する
日本は緊急時にはマニュアルで応対しようとする
しかし、マニュアル以上の何かが来たらどうしようもない
結局は個々のポテンシャルを上げていかなる状況下でも
普通にプレーできる技術、知恵、工夫が必要ということ
育成時代ごく幼いうちは相手がボールを持っていると
どうしてもボールを取りに行きたくなる
すると交わされてかえって相手に楽になるから
指導者は無闇に飛び込むな
と教える
しかしこの無闇に飛び込むな!
と言う助言はもう少し後でもいいのかもしれない
と思ったりする
つまり飛び込んで交わされた子は何度も同じ経験をするうちに
徐々に体が慣れていってボールを取る瞬間を発見できるようになったりする
また言われなくても飛び込まないほうが良さそうだと実感するようになる
こうした個々の選手の歴史の中で技術や知恵、工夫は身についていくものだが
どうしても日本は教えられると言う傾向が強い
とここまで不満をタラタラ書いたところで
これが今後大きく変わるとは思えない
ただ今回のワールドカップの結果を踏まえると
問題は育成時代から何とかしなきゃと思ったのは自分だけではないと思う
良い指導者
勝つためだけでなく、真にレベルを上げるための問題意識を持った指導者
そういう人たちが多くならないと日本はまだまだ上には行けない気がする
なんでも急に良くなるなんてことは無理なのだ