パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

作曲側と聴き取る側のメロディに対する変化(進化?)

2019年05月12日 10時00分14秒 | 音楽

音楽は感情表現だと言われる
音は現れるとすぐに消えてしまい絵画・彫刻などの芸術とは違い
存在するのは個人の記憶の中にしかない
その記憶の中心になるのは音楽の三要素の中では多分メロディと思われる
情感たっぷりなメロディ、切ないメロディ、心地よいメロディ、人の想像力を喚起するメロディ
一般的に有名とされる曲はメロディに特徴がある

メロディを美しいとか良いメロディと感じるのは年齢によって変化する
速いテンポの曲に知られたものが多いベートーヴェンだがその緩徐楽章は
アダージョの作曲家とされるブルックナーに劣らずなかなか沈潜した、考えさせる
印象的なものがあり、若いうちは情に訴える感じものが好きだった

その中のひとつが弦楽四重奏曲一番の中の楽章で、一回聴いただけで記憶に残りそうな印象的なパートがある

Beethoven: String Quartet No. 1, BarylliQ (1953) ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第1番 バリリ四重奏団

 いい意味での効果的なフレーズ、多少感傷的な面に傾く傾向などベートーヴェンも若かったとも感じさせる

これが中期になると情に訴えると言うよりは、どこか考えさせるような音楽になっていく
楽譜の上での秩序とか成り立ち方の統一性を考えさせられるというのではなく
それを聴いた人の中に「考えさせる」という表現が適切な、何かを感じさせる
中期の弦楽四重奏曲のラズモフスキーの一番から第三楽章

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 「ラズモフスキー第1番」 Beethoven:〈Rasumovsky〉 No.1

この楽章などは運命とか田園とか合唱、悲愴、月光とかでイメージされるベートーヴェンとは少し異なる印象を感じるのではないか

美しいメロディというのは、どういうものだろうと考えさせられるのが
最後のピアノ・ソナタ32番の第二楽章だ
冒頭のアリエッタは美しいか、、といえば、どうも普通の美しいという表現では収まらない気がする
メロディ自身が歳を重ねることはないのだが、それでもこれは良いこと・辛いこと・悔しいこと・やりきれないことなど
いろいろ経験してきたうえでの回想のような印象を聴く人に与える
それは肯定的な赤塚不二夫の「それでいいのだ」との肯定的な世界観や少しばかりの諦めも感じさせるよう
この不思議な静けさに満ちた音楽が変奏曲という形式で最後の彼岸に向かって流れていく

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op 111 バックハウス Beethoven Piano Sonata No.32

この曲は大好きでバックハウス、アラウ、ゼルキン、リヒテル、ウゴルスキー、ポリーニ、ケンプ、グールドなどの
CD(レコード)をその日の気分によって取り出している
この曲は二楽章までしかないが、トーマス・マンの「ファウスト博士」の中で
「何故ベートーヴェンは二楽章までしか書かなかったのか」という音楽学者の講演がかなりのスペースを要して書かれている
残念ながらトーマス・マンの文体は相性が悪く、よくわからん、、というところだが
トーマス・マンも32番のソナタには惹きつけられる何かを感じていたのだろう

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