最近では日本でもイースターを流行化させようとしているらしい
もちろん宗教的な意味ではなく、商業的な意味で
イースターエッグ、うさぎとか、その他もろもろのアイテムが
なんとなく可愛らしいのできっと商売になると考えてのことだろう
イースターは
「春分のあとの最初の満月から数えて最初の日曜日」
と定義されていて、今年は4月16日(日)
このイースターについては、わかりやすい解説は⇒こちら
一昨年、この時期に足を伸ばしたウィーンのホテルで出迎えてくれたのが
イースターエッグ
日本の旅館のちょっとしたお出迎えのお菓子みたいなものだろうか
キリスト教徒でもない自分が、敢えてこの時期に足を伸ばしたのかと言えば
イースターの時期に上演されるヴァーグナーの「パルジファル」を見たかったから
「パルジファル」はあの長大な「ニーベルングの指環」を作曲したリヒャルト・ワーグナーの最後の楽劇で
無垢な同情するという感覚をもった青年が、人を救うという、少しメルヘンチックな物語
この音楽の響きが刺激的でなくて、聴いててとても気持ちよくて、指環やトリスタンよりも好きだった
このパルジファルを初めて体験できたのは、無謀なドイツ一人旅を企てた若い頃
それも本家本元のバイロイトで、偶然のきっかけで見られた
その時土産に購入した写真が、これ
ここまでは、自慢話も混じえた前書きで、本当の話題はここから
イースターにはヨーロッパでは、バッハのマタイ受難曲や
このヴァーグナーのパルジファルが上演されることが多いそうだ
バッハの「マタイ受難曲」は確かに名曲で、人類の宝物としてとても大切なものだけれど
だからといって、自分にとってはそう何回も聴く気になれない曲
内容が真面目すぎて、深すぎて、こちらの気力が充実していないと
まず聴く気になれない(その気になって聴いた時は半端じゃない感動を得ることが出来る)
一方、ヴァーグナーのパルジファルは楽劇で動きがあるだけ(自分にとって)退屈にならないし
その響きも、また上演から得た感想や解釈も自由で、いろんな想像をするのが楽しい
ところが問題はここからで、最近のオペラというのは演出至上主義のようで
「台本の読み替え」による演出が主流となっている
1976年のバイロイト音楽祭100周年でシェローが指環で、モーニングを着たヴォータンを
登場させて、現代の物語として示唆に富んだ(考えさせる)演出が示されて以来
その方向での演出が当たり前のようになっている(らしい)
これはよくオペラを見て比較対象できる人々にはよいが
たまにというが、ほとんどオペラを見る機会のない者にとってはかなりしんどい
正直なところ、そんなに考えさせられなくていいから、もっとありのままの
原作に近い演出をやってほしい、、というのが本音だ
指環が現代に通じる物語だったとしても、それは見終わったこちらが
頭のなかで、「現代にも流用出来るな」と勝手に想像するから
上演はオーソドックスな形にしてほしい
それがめったに体験できないファンの希望
パルジファルは結局、バイロイト、東京上野の文化会館(20年位前?)、そして新国立劇場、
そして一昨年のウィーン国立歌劇場で体験したが、
その記憶に残っていることと言えば
バイロイトはオーソドックスな演出(宗教的な雰囲気に富んでいて終了後拍手は出来ない雰囲気)
上野の文化会館は病人の夢の中の物語
新国立は、(読み替えでもなかなか面白かったが)仏教徒が出てきて
何かよくわからんが、面白かったという印象
そしてウィーンは、よくわからん!
特に上野の文化会館やウィーンのような読み替えの演出は、気持ちと外れると
なかなか上演中も気分を持ち直すことが難しく楽しめないことになってしまう
そんなことなら、当たりハズレのないように原作に近い演出を、、、
とめったに見る機会のない人間は希望してしまう
ところで、6月は自分にとってヴァーグナー月間
6月7日に新国立で飯守泰次郎さんの仕切る「ジークフリート」
6月11日は愛知祝祭オーケストラによる演奏会形式の「ワルキューレ」
楽しみ、、
出来ることなら、あまり突飛な演出は、、、避けてほしいのだが、、、