視聴率は芳しいものではないようだが、一年間欠かさず見ている「光る君へ」
昨年の「どうする家康」は地元にも関係することもあって我慢してみていたが
今年は我慢どころか、視聴中の時間経過が速く、次回が待ち遠しいくらいだった
確かに藤原姓が多くて、人間関係とか地位の把握が難しかったが
それでも源氏物語のエピソードを匂わせる挿話とか
歴史上有名な人物のさりげない登場は面白かった
その大河ドラマも来週が最終話
総括としてどんなことになるかわからないが、先日まででふと思いついたことがあった
先日は周明(ジュウミン)が弓矢に打たれて亡くなった
このドラマの一話ではまひろの母が斬り殺された
最終話はエピローグとすれば、最初と実質的な最後は親しい人の死で
まとめられているのではないか!と要らぬ想像をしてしまった
この最初と最後に同様なエピソードを採用するのは
物語としてのバランスが良いような気持ちが働いたからではないのか
話は飛ぶが、ビートルズのサージェント・ペパーズのアルバムは
最初にアルバム・タイトルの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ」
が演奏され、最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の前に再びタイトル曲が再現される
これを聞いたとき感じるのは、まとまりが良いとか統一感だ
分野は違っても、何かをつくる人は知らず知らずバランスの良い手段として
こうした手法をもちいるのではないだろうか
ヴァーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」では
一幕はイゾルデとブランゲーネの女同士の話がメインで
第三幕はトリスタンとクルベナールの男同士の話が際立っていて
それは一種対称の様になっている
たまたま必然的にそうなっているのか、意図的にそうしようといたのかわからないが
このように考えることができると、あれこれ想像することはなんだか楽しい
ということで、毒にも薬にもならない話をいろいろ考えることのできるというのは
とても幸せなことだと思う
その反対に幸せだとは思えないことは「泉大津市市長選」で面白半分に出馬した
立花孝志氏の演説を、まるでタレントを見守るかのように多くの人たちが
聞き入っていることだ
そこでは立花氏を批判する人々もいて一時騒然となったようだが
彼のような人物は相手せずに無関心に徹することがベストだと思う
#立花孝志から社会を守れ
というハッシュタグが広まっているが、本当にこの通りだと思う