国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国会審議の議事録 Part2 (DD54の瑕疵について)

2012-04-10 06:39:23 | 国鉄関連_国会審議
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おはようございます、昨日に引き続きDD54の欠陥について質疑を受けたさいの答弁の模様をお伝えしたいとおもいます。

○説明員(藤田義人君) いまDD五四の瑕疵の問題、またその賠償請求の問題でございますが、このDD五四が突如四十一年生まれたわけではございませんで、その前に三十六年から三十九年にかけましてDD九一というこの母体になる車を長い間、国鉄としましても、先ほど冒頭言いましたような必要性から、技術開発を進めるべく、いわゆる三菱の方から借用して、借用料ももちろん払っておりますが、そういう形で一緒にこれを開発する経緯がございました。なおかつ、先ほど馬渡理事が言いましたような、そういう瑕疵担保の問題等やり、また積極的なメーカーの方の協力もありまして、いま言ったような請求には至ってないということを御理解願いたいと思います。

○内藤功君 これは全然損害賠償要求をしないという理由にはならないと思います。DD九一がどうであろうと、それはDD五四の前の車でありまして、DD九一はたった一両でしょう、これは。そしてしかも、これは試運転中にも何かシリンダーが割れるという事故を起こした、そういういわくつきのものでしょう。DD九一がどうのこうのということは理由にならない。これはやっぱりメーカーの三菱重工に損害賠償を要求しなかったということは、はなはだ私は国鉄の措置としては合点がいかないということを申し上げておきたいと思うんです。そこで私は、まあこれは次第にむだ遣いだったという疑いを濃くするわけなんです。
 国鉄の資料によりますと、DD五四を廃車にしたかわりにDD五一という、これはさっき大臣の前にお見せした写真の中にDD五四と並んで隣の番線に入っているのがDD五一でございます。このDD五一の新車を十六両、この福知山機関区に導入しているんじゃございませんか。

○説明員(藤田義人君) 先ほどお話ししたように、亜幹線山陰線用のディーゼル機関車としてDD五四を配置したし、それで旅客列車、貨物列車を牽引して仕事を進めておりましたので、それが使えない場合にはそれにかわるものとして、たまたま幹線用で開発してきたDD五一ではございますが、この四十九年ごろ、安定した車両に育ってきておりましたので、その列車を確保する意味でDD五一を投入したという経緯で、いまの先生の御質問のように両数を入れてまいりました。

○内藤功君 DD五一の方の損害賠償はやらないと。まあよけいなことを言うようですが、労働者が国鉄の施設の中にビラを張ったとかいうとき、それからストライキやったときにはこれは損害賠償の訴訟を最近非常におやりになっております。これと比較するのはどうかという意見もありましょうけれども、そういう非常に損害賠償訴訟に積極的な国鉄が、こういうメーカーから瑕疵のあるものをつかまされたと――それに対して損害賠償という訴訟はある程度冒険はつきものですよ。しかし、きずものをメーカーからつかまされたユーザーはやっぱりきちんとここのところはやっておかにやならぬと、特に国鉄のいま財政の困難なときに思うんです。
 さて、それは繰り返しになりますが、一方、そうしておいて、今度は新車を、DD五一をどんどん入れていく。それは、もう二重に私は大メーカーに、言葉はきついですが、食い物にされているという感じがいたします。
 検査院来ておられますか。――会計検査院にお聞きしますけれども、本件について、このDD五四の廃棄問題について検査院として調査をしたことがあるかどうか、調査をしたことがあるとすれば、どういうふうに調査をし、また現状はどうかという点を伺いたい。

○説明員(小野光次郎君) お答えいたします。
 このDD五四型ディーゼル機関車の件につきましては、本年の二月に本院で、国鉄の鷹取工場につきまして会計実地検査を行いましたときに調査をいたしました。
 その調査の結果につきましては、DD五四型ディーゼル機関車につきまして廃車解体を行っておったわけでございます。この廃車解体につきましては三十九両行っているわけでございますが、この機関車は、先ほど国鉄からお話がございましたように、全部で四十両を四十一年度から四十六年度にかけて購入したものでございます。その全部を五十一年度から五十三年度までの三カ年で廃車しているわけでございます。このように耐用年数に比べまして短い期間使用しただけで四十両とも廃車するというようなことに至ったことは、これは従来にもないきわめて異例な事態ではないかと考えられるわけでございます。
 そこで、本院といたしましても、DD五四型ディーゼル機関車の一号車が導入されました四十一年度にさかのぼって児直し検査を実施することとし、当時の関係資料を要求しておきました。そして、まず導入の経過、契約の内容、納入の際の受け入れ検査の適否、用途廃止の決定及び解体業務の経理等の諸項目について目下鋭意検討を行っているところでございます。
 ただ、何分にも規定では資料の保存期間が五年でございますので、当時の十分な資料が得られないおそれがございます。そこで、私どもの方といたしましても既往年度の関係資料をでき得る限り徴しまして、遺漏のないように十分調査をする所存でございます。

○内藤功君 いま検査院の答弁の中で、導入の経緯についても鋭意検討をしている、それも含めて検討をしているというお話があったんです。
 そこで私も、これは昭和四十一年当時、どんな理由でこのように短期間にその後廃棄処分せざるを得なくなったこのDD五四という車種を、しかもいろいろさっき担当理事は言われましたが、ディーゼル機関車のエンジンをつくった経験のない三菱重工に任せた理由は何かと、この点について疑問に思うところなんです。これを、いろいろいままで言われておりますが、DD五四以前に機関車用、ディーゼル用のエンジンの実績がないその三菱重工にやらせた理由、これをもう一度端的にお話し願いたい。

○説明員(藤田義人君) この本線用ディーゼル機関車のDD五一、DD五四がいま話に出ておりますけれども、それ以前にDD五〇というディーゼル機関車がございました。これは一千馬力のディーゼル機関車でございますが、スイスのズルツァまたMANのエンジンを搭載しました三菱重工がつくったディーゼル機関車でございます。そういう意味で、そのディーゼル機関車のメーカーとして経験がないということには当たらないと思います。
 ただ問題は、先ほど来申しましたように、千七百から千八百馬力というような亜幹線用馬力についてのわが国としてのディーゼルエンジンの開発が非常におくれていたという中で、マイバッハと技術提携をしておりました三菱、これがちょうどその亜幹線用になおかつ保守上非常によろしいワンエンジンということで、三菱にDD五四を購入するような形になってきたという経緯でございます。

○内藤功君 そうすると、前にDD五〇のとき、ズルツァそれからMAN――ズルツァというのはスイスですね。MANは西ドイツですね。そういう経験があるから大丈夫だろうと思ってやったと、こういうことなんです。私はまず結論から言うと、ドイツとかスイスとか三菱とかいう名前、ある意味において虚名に目がくらんで技術上の検討不十分のまま飛びついたという印象があるんです。
 この昭和四十年の十月に三菱重工と国鉄の最初の当初契約のとき、国鉄部内の技術関係者の意見はどうだったんです。
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