現在はJR九州の電車が往復していますが、この区間が電化されたのが昭和36年、6月1日に門司港駅 - 久留米駅間が電化。されていますが、古い記録によりますと最初に試運転が昭和36年4月13日行われたそうです。
当時の鉄道ピクトリアルを見てみますと、当日は朝7:27に雑餉隈(現在の南福岡)駅を出発した臨時電車ですが、久留米から門司港に向かう途中、赤間から海老津の間にある城山トンネル内の架線で架線の絶縁碍子不良により架線が溶断する事故が発生して、急きょ給電を中止、試運転電車は蒸気機関車(D52333)に救援を受けて海老津まで助けてもらったそうで、その後は自力で門司港まで運転というハプニングもあったそうで、これにより約90分の遅延が発生したそうです。
鉄道ピクトリアル 昭和36年6月号から引用
今と異なりネットの情報などない時代ですから待ちぼうけをくらった人も多かったことかと思います。
記事によりますと、北陸本線が電化されたのが昭和32年でありこれが日本初の商用電化、昭和34年には地上切り替え方式で電化されたわけで、本格的な車上切り替え方式は九州が最初ということになります。
そういった点で、交流電化発祥の地として九州を上げる人がいるのかもしれませんね。
さて、そんな初めての車上切り替え方式である九州のデッドセクションですが、当初は仮設として門司駅構内の小倉寄り100mに仮のセクションが設けられていたそうです、現在はトンネルを出てすぐのところにデッドセクションが設けられていますのでこれはこれで貴重な記録と言えましょう。
記録では、この4月13日の試運転が九州における電車の最初の運転であり、4月15日から本格的な練習運転が始まり6月1日の開業本番を迎えたと書かれています。
鉄道ピクトリアル 昭和36年6月号から引用
当時投入された421系は153系の前面と113系並みの側面を持つ車両であり、113系よりも交直流電車の401系や421系が最初にデビューしたので低窓を持つ近郊型電車はこのシリーズだけになりましたね。
鉄道ピクトリアル 昭和36年6月号から引用
それと、興味深いのは関門トンネルが出来た後も、門司港と下関港を結ぶ関門連絡船が存在していたことです。
こちらは、昭和39年まで運行されていたということで、こちらも大変興味深い話でもあります。
いずれこの辺の話もきちんと調べたうえでお話をさせていただければと思います。
以下に、関門海峡トンネル開通後も残った連絡船の話をさせていただきました。
関門間の足として残った、関門連絡船(遅すぎた廃止航路)
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城山トンネルは、複線規格でしたが架線を張ると幅が足りなく新しい上りトンネルを掘りました。試運転でこんな事故があったんですね。
2002年の追突事故は狸の呪いだろって笑い話もありましたが、戦後すぐには米軍車両が並行する国道三号線から線路に落ちたり、さくらが乗用車に突っ込んだ踏切では一昨年飛び込みがあったりなど赤間-海老津間は事故多いです。