国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

鉄道郵便があった頃 番外編

2015-04-09 09:40:16 | その他雑談



皆様こんにちは、今日は鉄道郵便があった頃の番外編として私が郵政にいた頃のお話をさせていただこうと思います。

郵便局における郵便輸送は、昭和30年代までは鉄道に頼ることが一般的であり、中央局と呼ばれる大きな郵便局は駅のすぐ近くにその局舎を構えることとなりました。
大阪中央局然り東京中央局も・・・東京中央では駅舎と局舎の間に専用の搬送地下道がありましたし、大阪中央では確か隣が貨物駅でしたのでそこから直接線路が引き込まれていたのではなかったでしょうか・・・このへんは記憶が曖昧なのですが、大阪中央局では駅舎の反対側が発着場になっており、トラックも多数出入りしていました。
もしかしたら、荷物輸送の専用通路が大阪中央にもありましたから、そこから大阪中央までも同じように道が延長されていたかもしれません、その辺はちょっと資料もないので断言できませんが、表通りを郵袋積んだ台車が走るわけにもいかないので、おそらく地下道か専用道でつながっていたと思われます。

さて、そんな大阪中央ですが局規模が大きすぎて発着場に配属されたらそのまま退職するまで発着という担務の人もいたようですね。

私も一度だけ大阪中央局に行ったことがありますが、すべての規模が大きすぎて正直ビビりました。(^^ゞ

局規模から言うと当時では郵政局長よりは下ですが、部長クラスより上の立位置になりますので郵政局次長と同格もしくはチョット下というところであったと思います。

ちなみに、ノンキャリであれば神戸中央→京都中央→大阪中央の順番・・・実際は神戸中央と京都中央はほぼ同格?だったかな。
で大阪中央まで行ければだいたい上がり【退職】というのがノンキャリの憧れでした。(間違っても次官にはなれませんからね。苦笑)

さて話題がずれてしまいましたが、現在は鉄道が郵便で運ばれるのはトラック輸送に代えてコンテナ利用が一部あるほかは廃止されてしまいました。
これも、宅配便がトラック輸送に代えて鉄道にコンテナ輸送を委託するのと同じ理屈であり積極的に使っているということではなさそうですね。

実際に、関西から北海道などは、飛行機での輸送が一般化していますからいまさら専用便を設けて鉄道で郵便物を運ぶというのはすでに過去の話となりつつあると言えます。

実際、郵便自体が衰退していますからね・・・これも時代の流れとはいえ寂しいものです。

長らくお付き合いいただきありがとうございました。
明日からは、また新しいテーマで投稿させていただきます。


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