国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

日本国有鉄道私見 2

2010-06-13 08:29:55 | 国鉄思いで夜話


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本日も、国鉄があった時代からの引用です。是非、他のページもご覧ください。

国有鉄道私見

国鉄の誕生

GHQの見解を聞いて頭を悩ませたのは時の政府でした。
GHQの命令は絶対であり、マッカーサーからの書簡(指示)という事になれば尚更でした。
 前項に書きましたように、政府としては鉄道総局をどうすべきか考えた結果、政府の意向ができるだけ通る、すなわち政府が公共企業体を支配できる体制を考え出しました、これが後々まで国鉄を苦しめる結果となりますので、よく覚えておいてください。
 そこで政府は、3つの案を考え出します。
 (1) 国務大臣を総裁とする鉄道総庁
 (2) 運輸大臣の監督下に置く特別法人国鉄公庁
 (3) 特別の管理機関をもつ特殊法人国鉄公社
政府は、(1)の形で決着を着けたかったのですがこれは認められず、(3)を採用せざるを得ませんでしたが、政府は影響力を行使できるやおうに、(2)案を加味した線が固守されました。・・・・日本国有鉄道法(廃止)衆議院のhpから引用
 この背景には、陸上輸送をほぼ独占していた国鉄は、国営の企業であり、引き続き国が保有すべきものであるという認識が強かったためであり、これは政府も鉄道省(後の国鉄)も同じような理解でした。当然最初から政治の介入を招く下地が最初から出来ていたと言えます。
 特に、給与総額制や、運賃法定主義など国鉄当局の当事者能力を制限するに及ぶと、国鉄の持つ権限は限りなく小さいものとなってしまいました。→日本国有鉄道法
 こういった、必要以上の足かせが、国鉄としての不幸の始まりになるのですがこれは後の機会にしたいと思います。
何とか、国鉄は昭和24年6月、日本国有鉄道として発足しました。当初4月発足だったのですが、国家行政組織法や運輸省設置法の立法が遅れるなどで、運輸大臣の権限において意見対立があり準備が遅れ6月からの移行となりました。

 日本国有鉄道の誕生は、政府にとっても国鉄本体にとっても多くの問題を内包したままのスタートとなりました。
 国鉄の中には、戦時中に採用した女子職員や、元鉄道省の職員、満州鉄道職員も含め50万人近くの人が働いており、独立採算制を最重要課題にされた国鉄にとって、人員整理が最も最初に行うべき仕事となりました。
 実は、人員整理は鉄道省(運輸省)時代にも実施しようとしたのですが、国労の反対で撤回されました。
 国鉄発足直後の人員整理は当時の鉄道省の輸送力を考えると避けて通れない問題であり、でした。
 やはりもっとも、国鉄にとって不幸だったのは、GHQの指示した公共企業体という概念を国鉄(当時は運輸省)も政府も理解していなかったことに起因でしょう、これは国鉄財政が悪化する40年代まで変わらず、結局56年のローカル線廃止問題をくずぶらせる原因にもつながっていくのですがそれは後の機会にでも。

エピソード2 労働運動と国鉄

労働運動前史

戦前にも労働組合は存在しましたが、労働組合の存在は非常に弱いものであり、使用者に対しては請願という形で行われるのが一般的でした。
 実際には戦前にあっても、ストライキなどを実行する会社もありましたが、ことごとく労働者の敗北に終わっていました。
 特に太平洋戦争(大東亜戦争)中は、全ての組織が翼賛会に再編されたこともあり、労働運動はひとまず姿を消します。
 鉄道においても、同様で鉄道及び連絡船航路は軍人に準ずるものとして、連絡船航路の従業員は一足先に海軍軍属に、またその他鉄道従業員も、陸軍軍属とされていきました。
 戦前の労働運動に関しては、資料も未だ十分ではないので今後の機会にしたいと思いますが、第1次大戦後から大正デモクラシーにも後押しされて、労働運動が活発化しました。

戦後の労働運動

戦後、労働運動は民主化の旗印の下、合法化されました。 昭和20年12月には労働組合法(昭和24年6月施行)が公布され、(実際には昭和20年に制定された労働組合法を全部改正すると言う手続きを経て公布施行されました。) そこで、雨後のたけのこのように組合は結成、発展していきました、当初はGHQも民主化のためということで、日本共産党(以下「日共」と略す)の活動についても静観を決め込んでいきます。 さて、ここで国鉄(当時は運輸省鉄道総局)の動きを見てみましょう。 運輸当局は、戦争中に結成された国鉄奉公会が解散した後、鉄道委員会の組織化を開始しました、これはいわば御用組合のようなもので、労働基本権も保障されないもので、結局昭和20年12月には国鉄内部からの批判も強く、消えていきました。 しかし、水面下では戦前からの日共の流れを汲むグループが国鉄従業員組合準備会を結成し組合結成を呼びかけました。これが後に国労と呼ばれる組合に発展していきます。 この動きは、水面下、各現業機関(機関区・電車区等)の単位で結集が進み、やがて鉄道管理局単位で統合組織が出来上がるに連れて組合の全国組織化の機運も高まっていきました。

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