さて、いよいよ今回は急行瀬戸のお話の最終回となります。
急行列車に連結されていた食堂車は、昭和47年の北鹿トンネル火災事故でその火元となったオシ17が他の列車からも外されてしまうこととなり、明らかにサービスダウンとなってしまったのです。
当初は火災の原因が特定されておらず旧式の石炭レンジを使っていたことから石炭レンジ=危険ということで運用から外されたのでした。
実際には、喫煙室下の床下電気暖房器の結線不良が原因でしたが新聞などは旧式の石炭レンジがその火元ではないかということで散々書いていたようです。
北陸トンネル火災事故が起こる前、国鉄では20系寝台車に代わる寝台列車として新たに12系客車をベースにした14系寝台客車を開発していました。
画像 Wikipediaから引用
車掌補(乗客案内)の不足を補うため省力化を図るとともに、583系電車で採用された70cm幅の寝台が好評であることから新型寝台車もその幅を確保することした14系寝台車が開発され発電電源装置を置くことで電源車が不要となり結果的に1両余分に連結できるので1車あたりの定員減を補えると考えたようです。
現車は昭和46年10月には先行試作車が製造され試運転を兼ねて急行「瀬戸(下り)2号 (上り)1号」に組み込まれていました。
12系と同様SG管を持つ編成であったことは言うまでもありません。
14系採用の急行瀬戸は寝台幅が広がったことで利用者には好評だったようですが、翌年の3月15日のダイヤ改正では特急化されるのですが20系客車に戻ってしまいせっかく14系で広くなったと喜んだ利用者はさぞがっかりしたでしょうね。
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国鉄があった時代 JNR-era
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実際には、喫煙室下の床下電気暖房器の結線不良が原因でしたが新聞などは旧式の石炭レンジがその火元ではないかということで散々書いていたようです。
北陸トンネル火災事故が起こる前、国鉄では20系寝台車に代わる寝台列車として新たに12系客車をベースにした14系寝台客車を開発していました。
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車掌補(乗客案内)の不足を補うため省力化を図るとともに、583系電車で採用された70cm幅の寝台が好評であることから新型寝台車もその幅を確保することした14系寝台車が開発され発電電源装置を置くことで電源車が不要となり結果的に1両余分に連結できるので1車あたりの定員減を補えると考えたようです。
現車は昭和46年10月には先行試作車が製造され試運転を兼ねて急行「瀬戸(下り)2号 (上り)1号」に組み込まれていました。
12系と同様SG管を持つ編成であったことは言うまでもありません。
14系採用の急行瀬戸は寝台幅が広がったことで利用者には好評だったようですが、翌年の3月15日のダイヤ改正では特急化されるのですが20系客車に戻ってしまいせっかく14系で広くなったと喜んだ利用者はさぞがっかりしたでしょうね。
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