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「東京タワー オカンとボクと、時々オトン」(ネタばれ注意)

2007-04-14 20:38:53 | 見聞録
テレビは
見るタイミングが合いませんでした。原作だけはしっかり読んでいたのですが。

まず、樹木希林さんと内田也哉子さんははまり役だった。話し方がそっくりだった。実の親子でもあるから当たり前か。オダギリジョーさんもよかった。子役はほくろつけていました。
筑豊の炭鉱は地元の栗駒市なんです。山並みがわかるな。
オカンとオトンが分かれて生活するようになった。ボクはオカンと一緒に線路を歩いていた。炭鉱のトロッコで動物を引くのを楽しんでいたが、やはりウサギは引けなかった。オカンの姉妹で花札をやっていたりオカンの一発芸!?も笑えた。オカンが恋をしてデートにボクが同伴することになったが見失い、探す当てるシーンもぐっときた。
親の負担を考えて大分の学校に通うことになるが、堕落した生活になる。
東京の美術大学に進学しようかと思ったら躊躇してオトンに相談する。オカンは
「景気づけだ。」
と、ご馳走を準備する。
東京に行っても堕落した生活から抜け出せず借金をするようになる。挙句の果てに留年。
オカンは
「店を任されることになったから、留年してもいい。」
と、快諾。無事卒業する。
それからも堕落した生活が続くが、イラストを描き始めて借金を返済していく。
オカンが癌に冒されてしまう。小料理屋をたたむのが残念だったし、病院にいくようになって働いた食堂も首になった。
「オカン、一緒に東京ですもう。」
と、呼びかけた。オカンは確かめるように電話を掛けなおした。
彼女も出来て3人で一緒にドライブするシーンがあった。
オカンの料理がおいしくて友達が集まるようになる。本当に幸せな瞬間だった。
オカンの病気の検査結果は癌だった。
彼女が
「オカン、治療しようよ。九州にいる人だけじゃなくってここに住んで出来た友達がみんな悲しむよ。」
と、話す。
このシーン、印象的でした。
実は彼女とは別れていた。オカンから指輪をもらっていた。
入退院を繰り返していたオカンと一緒に住めるようにと広いうちを探していた。最後に入院する前に母と筑豊の電車のレールをあるった時以来、手をつないだ。ここはゆっくりとした映像になっている。
抗がん剤を使用しての治療は嘔吐が激しく、苦しみもだえていた。治療を止めるとしたら、あと3ヶ月だそうだ。
うわごとで
「冷蔵庫の中に鯛の刺身、鍋にはなすの味噌汁が入ってる。」
と、ボクを案じていた。
オトンが九州に買える晩
「ラジオをつけて。」
と、話す。そう、密かに息子のラジオ番組を知っていたんだ。ラジオからは
「愛する人に送ります。『キサス キサス キサス』」
この曲はオトンとオカンがダンスホールで踊っていた曲。聴いた瞬間、容態が悪化する。
オカンが容態が悪くなった時に原稿の催促の電話が鳴る。なんて間が悪いんだろう。
一瞬、意識は戻ったものの、オカンは永遠の眠りについた。
オカンの葬式には東京で出来た友達がいた。みんなで酒盛りだ。
オカンから死んだら見るようにとあてられた箱にはへそのお、彼女などにあてた手紙、僕を抱いた若いオカンの写真だった。母からの手紙も号泣した。
ドライブしていけなかった東京タワーにオカンの位牌と一緒に行った。彼女と待ち合わせだ。そこで彼女宛の手紙を渡す。
「オカン、さよならじゃないだろう。いつも一緒だよ。オカン、いい天気でよかったね。」
っていう言葉で締めくくられる。そこに主題歌が流れる。ぐっときた一瞬だった。
「オカン」って一体なんだろう?
戻ってこられるふるさとだと思う。年老いても地位が高くなってもオカンには頭があがりません。親孝行したいなあ。