人質事件についてネット上では、いちいち書いていたらきりがないほど、
無責任で残酷な言動がまかり通っているが、黙過できないと感じるのが、
2月4日の高村正彦自民党副総裁の次の発言だ。
日本国民を守る立場にある政府与党のナンバー2の公の発言は重い。
「日本政府の警告にもかかわらずテロリストの支配地域に入ったことは、
どんなに使命感があったとしても、勇気ではなく、蛮勇と言わざるを得ない」
高村副総裁はどうしてこんなことを言ったのかは、すぐに想像できる。
〈政府が悪いんじゃない、再三勧告したのに出かけて行った後藤さんの自己責任だ〉
〈政府は要らんことされて迷惑だ〉
ということだろう。つまり政府の責任回避だ。
もともと、湯川さんを救出するべきなのは政府なのに、何ら有効な対策も取らなかった。
「一人の命は地球よりも重い」なんて言葉をちょっと前の日本では
政府が率先して述べていたのだが、今回の2人の日本人人質に関して言えば、
日本政府は本気で助ける気があったのか、
疑わざるを得ない数々の出来事があきらかになっている。
政府が本気で湯川さん救出に動いていたら、
後藤さんは自分の命をかけて出かけて行く必要はなかった。
後藤さんの遺したブログ文を見つけ、読んでいて、2004年10月のところで止まった。
香田証生さんが誘拐されたときの後藤さんの文だ。
当時、彼(香田さん)を助けられなかったことが、
今回、後藤さんが湯川さん救出行動に出た大きな要因になっていることが容易に想像できる。
―――転載ここから
Oct. 27, 2004
日本人の青年がイラクで拉致されたという一報。
日本人の青年がイラクで拉致されたという一報。
ついに現実になったか、という思いやら、また非難ごうごうだろうなとか、思う。
彼の行動を非難することと、知らんぷりをすることは、行動の理屈として繋がらない。
いろいろ意見はあると思うけれど、漫然と見捨てていいのか、と思う。
「見捨てない=繋がっていますよ」というメッセージは、彼に対してのものであり、
「見捨てない=繋がっていますよ」というメッセージは、彼に対してのものであり、
同時にイラクとその国の人たちに対するものでもある。
こうしたことをきっかけに、一般の人たちは日本と日本人の行動を見極めている。
こうしたことをきっかけに、一般の人たちは日本と日本人の行動を見極めている。
ベスランの学校を占拠した武装グループたちに向かって、
「あなたたちは間違っている」と訴え、射殺された少年がいたという。
彼は正しかった。
投稿日:2004年10月29日
青年の解放を求める集会に参加した。
デモや集会と呼ばれるものに参加したのは、中学校の何とか集会以来のことだ。
この仕事をするようになってからは、意識的に避けてきたということもある。
国会議員の偽善的で言い訳めいたスピーチが続く。
なんで拍手するんだ?
彼らは、本来なら「今まで政治家として何をやっていたんだ、自分らに責任はないとでも言いたいのか!もっとしっかり汗かいてやれ!」と非難されてしかるべき立場のはずだ。
思わず帰りそうになったが、
「頭数」になろうと思ってここにやって来たことを自分に言い聞かせて、じっと我慢した。
デモや集会と呼ばれるものに参加したのは、中学校の何とか集会以来のことだ。
この仕事をするようになってからは、意識的に避けてきたということもある。
国会議員の偽善的で言い訳めいたスピーチが続く。
なんで拍手するんだ?
彼らは、本来なら「今まで政治家として何をやっていたんだ、自分らに責任はないとでも言いたいのか!もっとしっかり汗かいてやれ!」と非難されてしかるべき立場のはずだ。
思わず帰りそうになったが、
「頭数」になろうと思ってここにやって来たことを自分に言い聞かせて、じっと我慢した。
いろいろ思っても、「あの青年を殺してはならない」ということがすべてだ。
自分に、日本人に、イラク人に訴えかけるにはどうしたらいいのだろうか?
静かに祈りをあわせていきたいと、心から思う。
希望はある。分析的な見方をしても、希望はあるよ。
自分に、日本人に、イラク人に訴えかけるにはどうしたらいいのだろうか?
静かに祈りをあわせていきたいと、心から思う。
希望はある。分析的な見方をしても、希望はあるよ。
――――――――転載ここまで
一昨年秋の台風で増水した大阪の淀川で小学生が流されたとき、
中国人留学生厳俊さんが自らの死を賭して濁流に飛び込み、子どもを助けた。
(私はそのとき、中国江西省の大学で日本人のネット書き込みを
学生たちに紹介したのでよく覚えている)。
ネットでは「むちゃしよる。死んだらどうするんだ」という声もあったが、
結果、厳俊さん、小学生の男児の二人とも助かり、厳さんは『英雄』と称えられた。
厳さんは秋の褒章で紅綬褒章を受賞し、
内閣総理大臣安倍晋三は感謝状を授与したとニュースに載った。
後藤さん、厳さんの行動の結果は明暗を分けるものになってしまったが、
一方が蛮勇で、もう一方が正統派の勇気だなどとどうやって線引きできるだろう。
ほんのちょっとの偶然、ほんのちょっとのタイミングで結果が変わった可能性は大いにある。
私が高村自民党副総裁の発言に憤りを感じるのは、
①後藤さんを現地に行かせた要因は、香田さんのときと同様、
政府が湯川さん救出に有効な策を講じなかったこと。
②結果が悲劇的だったことをもって「蛮勇」などと言い自国民の尊厳を落し込めたこと。
③高村氏自身、自分が日本国の中枢にいる政治家であるということの自覚と責任感がないこと。
である。
こんな政府にあっては、何かあったときに粗忽な私など、どう言われるか、
人間扱いされないんじゃないかという不信感がぬぐえない。
自国民を見殺しにしておいて、それに乗じたように、好戦的な発言も、憲法改悪に走ろうとする姿勢も、それこそ蛮勇と思いますが?
自分たちは何の反省もせずに死者を鞭打つ所業は同じ日本人と思えません!情けないです(;_;)
悔しくて悲しくて、どうにかなりそうな最近です。
しかし!ここで憤死したり鬱になったりしたら、安倍ろくでなし政権の思う壺。
病気にならないよう、病気を悪化させないよう自己コントロールが必要ですね。
声を発すること、他の人たちと繋がること、少しでも世論形成になりそうなことは、躊躇せずやりましょう。
これは平和を愛する一人ひとりの日本人対安倍戦争遂行政権との全面的闘いです。
私は自分が死ぬまで安倍政権及び安倍政権的なものを許しません。
なんで、このちっぽけな一市民がここまで思わなアカンのか、ホンマ腹立ちますわ。
そもそもジャーナリストにできる本分をこえちゃってるのに使命感かなんかでつっこんでるんだから。
馴染みの現地人ですら拒否した場所に
いくら崇高であっても行動は正否にかかわらず蛮勇でしかない。
生まればかりの赤ちゃんもいるのに。
家庭を顧みて命を大切にしろよとしか言えない。
そもそも
蛮勇は使命や志の有無にかかわらず、結果や是非を考えない勇気とその行動のことだし
ジャーナリストならジャーリズムだけに蛮勇をだせといいたい
私はお断りします。
見ず知らずのブログに自分の存在根拠も示さず、突然のため口体は、内容以前に無礼です。
内容ももう一度、ジャーナリズムの使命とは何か?なぜ戦場ジャーナリストやフォトグラファーは死の危険を冒してまでそこに赴くのか。彼ら・彼女らの伝えたいことは何か。
そして、自分との違いは?彼らから学ぶべき点は何か?など、少しは内省的な思考をして後に、もう一度コメントしたかったらしてもいいです。本当は面倒ですが読むぐらいは読んであげましょう。
このUNKNOWNコメントは、衆目に晒し、その後ボツにします。