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山行(やまゆ)かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ
かへりみはせじ
(長閑(のど)には死なじ)
40年も前、まだ私が大学生だった頃、
友人が歌っていたこの歌を初めて聞いた。
(いい歌だ)と思って聞くと、戦争の時の歌だという。
その人は「この歌は反戦歌じゃないかと思う」と言っていたが、
その歌詞の現代語訳は
「海を行けば、水に漬かった屍となり、
山を行けば、草の生す屍となって、大君のお足元にこそ死のう。
後ろを振り返ることはしない」(wikipedia)
ということで、100%軍歌の内容に思える。
だが、この物悲しく、格調高いメロディは
戦争時、たたかいの気分を高揚させただろうか。
大本営がラジオで玉砕を発表するとき、必ずこの曲をかけたという。
敗戦まで、多くの国民が愛唱したそうだが、
1952年生まれの私は
父母がこの歌を歌ったのを聞いたことは一度もなかった。
北海道の地の果てに生きる人々は、戦時中この歌を歌っていたのだろうか。
この歌だけでなく、軍歌など歌って行進していたのだろうか。
あの地の果てで・・・。
いつか北海道に帰った時に聞いてみたい。
この歌は軍歌的メロディでは全くない。
加えて歌詞も、もともと大伴家持が作ったもので
侵略戦争時の景気づけのために即製されたものではない。
本当に古のとき、
天皇が「ああ、もうちょっと黄金があったらいいのになあ」
と言ったので、陸奥国に金が出ると臣下が奏上した。
そうすると天皇はとても喜んで、天下の庶民に大盤振る舞いされた。
こんな気前のいい素晴らしい天皇様のために大伴氏一族は仕えてきたのだ。
「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、
大君のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」
と誓いながら。
と現代語訳をさらに噛みくだくと、アホみたいで趣もなにもサッパリなくなってしまった。
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それでね、言いたいのは
この歌をここ、中国南昌で歌っている中国人がいらっしゃるということなのだ。
その方は、1933年、福島市で生まれ、
12歳で中国に戻るまで福島市で暮らしていた博堅さん。
この歌を歌いながら、
町の中を亡くなった兵隊の遺骨を持ってぞろぞろ歩く人々の姿を
何回も直接見、そして、自然にこの歌も覚えたという。
80歳の博堅さんは、バリバリの共産主義者である(とご本人がおっしゃっている)。
その方が、しみじみと「海ゆかば」を歌う。
う~ん。深いなあ。
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