裏庭に毎日来るトンボの赤い色が濃くなってきました。
赤とんぼにはアキアカネとナツアカネの二種類いるそうです。
兵庫県のアキアカネは普通まだ氷ノ山などの高地にいて、
9月後半に下界の水辺に降りてくると書いてある記事があり、
そうすると、低地の我が裏庭に来ているのはナツアカネなのかも知れません。
私は全くどちらでもいいんですけど。
うちのトカゲ(笑)は、この棲み処ですっかりくつろいでいるようで
しょっちゅう姿を見せます。
トカゲ的には今がのびのびできる気候だからでしょう。
しかし、冬になったらどうするんだ、
そんな小さい体でちゃんと自分で冬眠できるのかと
老婆心が疼きます。
以前、この家に引っ越してきてまもない冬に、
そうだ、土を入れ替えましょうと思いついて作業を始めたら
なんと地中で寝ていた蛙をほじくり出してしまったことがあります。
よもや、痩せた粘土質の土の下に生き物が寝ていようとは露ほども考えておらず
心底驚くとともに、
そうか、この酷い土も一応土なんだと認識したものです。
今年はせめて冬眠の邪魔をしないよう
秋までに冬支度をしてしまわないと……。
学校教育で日本語の敬語をきちんと学ぶ機会は昔(といっても戦後1945年以来)も今もほぼないと思います。
今使われている日本語はいろいろ文法的に変だと思う例がありますが、例えば
①会社の社員が多用する謙譲語「~させていただく」は、元来上司などの許可を必要とする自分の動作を表現するもので、むやみに使うと変ですね。「(ビールを)飲ませていただきます」…「いただく」でいい。「(部屋へ)案内させていただきます」…「ご案内します/ご案内いたします」でいい。
②ら抜き言葉は五段動詞と一段動詞(上一段、下一段)が分かっていれば「見れる」「食べれる」などと言わなくなるのですが、学校の公教育で日本語文法がどれほど取り組まれているのか甚だ疑問です。
③ライン漫画などでは「私の母が召し上がります」などのミスが随所に見られます。おそらく韓国在住の日本人が韓国語を日本語に翻訳していると思われます。
残念ですが、この言語界でも世代間引継ぎに失敗しつつあると言わざるを得ません。
事態は、単に政権交代しても解決しない、自国文化・歴史軽視の民族の深刻な軽佻浮薄さが原因なのでは…と悲観的に見ています。
*私のコメント文中の「体言」は「体現」の間違いでした。どうもすみません。
『お前も仲間だろう、何とかしろ!」と追及されてもしかたないですね。
地球をこんなふうにしたくなかった者としては、はだしのゲン同様、「チクショウ!チクショウ!」と歯噛みするばかりです。人間が破壊と生産の長い歴史から学んだことは「ヒトはのど元過ぎた歴史をたちまち忘れる」という事実だけでしょうか。
お見事な ともなると、尊敬語表現ですよね。この場合、誰に向けられているのか、ハッキリしませんので、見事な という言葉で良いと思います。このところ、この辺りの日本語表現が変に成って来ていますか。例えば、先生 指導お願いします。という時、先生 ご指導お願いします。ではないかと思ったり、尊敬語表現が混乱して来ているのか🤯と考えたりします。自民と維新がダメなためにと思ったりもします。大阪都構想という設定が出来なかったので尊敬出来ません。大東亜共栄圏構想と言う設定も出来なかったので尊敬出来ません。小室圭君のアメリカンドリームという構想は見事に設定出来たので、尊敬出来ます
人間が暑い、暑いと茹だっているうちにも、季節が移ろう兆しをきちんと体言する小さき命にはホンマ、負けますね。
私も今夏はできるだけヒト本来の力で過ごそうと、エアコンなし、微風扇風機だけを使って暮らしてみました。35℃と36℃の微妙な気温差が感受できるようになりました(ちょっと自慢)