今まで余り気にしなかったけど、
最近、結構ちょくちょく「疲れた~」と言ってしまう。
家族と気心しれた友人との間でよく使ってしまうワード。
これは私の甘えの心や労わって欲しいなんて隠れた欲求の裏返しだった。
だけど先日ちょっと他の人からの「疲れた」と言う言葉を聞いて、
自分自身がネガティブに感じてしまっていることに気づいた。
頻度や距離感で違うのかもしれないけれど、
言葉一つに宿る言霊って大切なんだなと気づかされた瞬間だった。
「疲れた~(だから労わって~)」とか
「疲れた~(頑張ったから誉めて~)」とか
「疲れた~(だから代わりに掃除して~)」とか
疲れた~って言葉をなるべく使わないようにして
ポジティブに返還するなら
「(疲れたから)ゆっくりしたい!(だからゆっくりする)」
「(疲れたから)一休憩入れたい!(だから一休憩入れる)」
「(疲れたから)喋りたい!(だから話を聞いてもらう)」
「(疲れたから)甘いもの食べたい!(だから食べる)」
案外、ネガティブな言葉を使わずともやっていけそうだ。
そしてポジティブな欲求はエコだなと思った。
最近、結構ちょくちょく「疲れた~」と言ってしまう。
家族と気心しれた友人との間でよく使ってしまうワード。
これは私の甘えの心や労わって欲しいなんて隠れた欲求の裏返しだった。
だけど先日ちょっと他の人からの「疲れた」と言う言葉を聞いて、
自分自身がネガティブに感じてしまっていることに気づいた。
頻度や距離感で違うのかもしれないけれど、
言葉一つに宿る言霊って大切なんだなと気づかされた瞬間だった。
「疲れた~(だから労わって~)」とか
「疲れた~(頑張ったから誉めて~)」とか
「疲れた~(だから代わりに掃除して~)」とか
疲れた~って言葉をなるべく使わないようにして
ポジティブに返還するなら
「(疲れたから)ゆっくりしたい!(だからゆっくりする)」
「(疲れたから)一休憩入れたい!(だから一休憩入れる)」
「(疲れたから)喋りたい!(だから話を聞いてもらう)」
「(疲れたから)甘いもの食べたい!(だから食べる)」
案外、ネガティブな言葉を使わずともやっていけそうだ。
そしてポジティブな欲求はエコだなと思った。