先日ハイヌーンショーの事を書きましたが、多分小学4年とか5年の夏休み中は毎日見てたのではないかと思います。しかし、鶴光師匠が出ていた以外は番組内容に記憶無し。毎日ヤクルトホールからの生放送っていうと、スタッフも出演者も相当大変だったのではないでしょうか。
唯一記憶にあるのは、こどもの日の放送で川柳を募集して優勝者には賞品だか賞金だか出すという企画。それがいろんなコーナーがあって時間が押し結局エンディングに一つだけ電話での応募を紹介し、司会の円鏡さんが「じゃ、これを優勝にしましょう。」と言ってたという。幼心にも「そんな適当でいいの?」と思ったものです。それも「子供より 親が喜ぶこいのぼり」という作品で「面白くねーよ」と思ったり。いまだに覚えてるくらい面白くないですわ。
それで鶴光師匠の話。自身の「かやくごはん」という本に書いてましたが、この番組が初のテレビレギュラーだったそうです。それも、事務所が「落語家ですけど歌も歌えます。ギターも弾けます。」という事で売り込んだので、初回はギター漫談をやることに。
リハーサルで「はい、ギター弾いて。歌って歌って。」と言われて「すんません。歌えまへんしギターも弾けまへん。」というと、「どうしようもないのが来た。」と愕然とされたとか。
そういう時代だったといえばそうなのでしょうが、公開生放送の番組なのでなにかったら話芸で繋いでくれるような落語家さんは需要があったのかも。その後「小咄その1」で人気が出たので、番組側としても結果的に良かったかもしれません。
なお、ブレイクしたのはこちらかオールナイトニッポンかどっちが先かはわかりませんが、さすがにここで「乳頭の色は?」とか「注射はまだでっか~?」とか「ええか~ ええんのんか~」は言ってなかったです。平日のお昼ですしね。
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