甲府の商店建築-11-結納品の老舗 2008年12月29日 | 甲府市 前回エントリーの書道用品店の前の道を東に進むとこちらのお店に突き当たります。“村松新道”の入口にもなるわけですが、過日、ひろ坊さんに明治後期のこのあたりの地図を見せて頂きました。こちらのお店はすでにあり(現在の建物は戦後)ましたが、“村松新道”はありませんでした。 ←一日一回“鰹節!”とクリックして頂けるとありがたいです。 « 甲府の商店建築-10-書道用品店 | トップ | 平和を祈る »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 はい、そうですね。 (凡苦楽庵) 2008-12-30 12:19:05 実は、この富士彦さんを新年最初にUPしようと考えていたのですが、別の物件が出てきましたので、年内最後のUPにしました。 返信する 富士とは縁起がいいですね (冬日) 2008-12-30 09:07:34 真正面に「富士彦」とは縁起がいいですね。来年もよい年になりますように。 返信する ひろ坊さん (凡苦楽庵) 2008-12-29 22:50:11 先日は地図を見せて頂きありがとうございました。村松新道の“村松”にはそういう謂れがあったのですね。昔の人は肝の大きい人がいましたね。 返信する 計画道路 (凡苦楽庵) 2008-12-29 22:47:59 ictkofuさん、コメントありがとうございます。連雀問屋街から、ここの村松新道へ斜めに計画道路がありますね。こちらの建物も少し掛かるのではないかと思います。少しでも掛かると全部と同じことですから、この先どうなるのでしょうか。 返信する 村松甚蔵さんと甲府城(舞鶴公園) (ひろ坊) 2008-12-29 20:11:52 先日お見せしました地図は、柳町周辺の100年以上前と現在を比べたものです。まちミューさんのブログによると「村松新道」(写真富士彦さんの横の道)は村松甚蔵さんの私道だったとあります。 甲府城(現舞鶴公園)は、明治維新後、陸軍省に所管になり、甲府市(旧柳町)上野屋・村松甚蔵さん、通称上甚という砂糖屋さんが大正6年(1917年)に自分の私費を投じて陸軍省から買取り、山梨県に寄付している。明治後期の地図を見ると徴古堂書店の西側(道をはさんで前ぐらい)にあった。 返信する 道路計画あり? (ictkofu) 2008-12-29 20:10:22 村松新道の表示で交差点が分かりましたが、このお店に気付いた事が無いです、街を見る目がない私だなぁ(^o^)村松新道はあの新しい城東通りバイパスが市内まで延びてくる計画と重なっているのではありませんか。この建物の運命が気になります。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
来年もよい年になりますように。
村松新道の“村松”にはそういう謂れがあったのですね。昔の人は肝の大きい人がいましたね。
連雀問屋街から、ここの村松新道へ斜めに計画道路がありますね。こちらの建物も少し掛かるのではないかと思います。少しでも掛かると全部と同じことですから、この先どうなるのでしょうか。
甲府城(現舞鶴公園)は、明治維新後、陸軍省に所管になり、甲府市(旧柳町)上野屋・村松甚蔵さん、通称上甚という砂糖屋さんが大正6年(1917年)に自分の私費を投じて陸軍省から買取り、山梨県に寄付している。明治後期の地図を見ると徴古堂書店の西側(道をはさんで前ぐらい)にあった。
村松新道はあの新しい城東通りバイパスが市内まで延びてくる計画と重なっているのではありませんか。
この建物の運命が気になります。