今日は思っていたより涼しい一日でした。
梅雨入りが早い気がしてましたが 6月9日。
関東の場合は 平年より一日遅いみたいですねえ。
ちなみに例年っていうのは 過去30年間の平均値らしく
一日の誤差ってことは ほとんど平年ってことですね。
そう言われてみれば 「6月6日に雨ザーザー降ってきて~」
の絵描き歌にあったけど これって大体平年並みなわけですね。
うーむ。絵描き歌 あなどれない。
さて あさのあつこの「東雲の途」ようやく借りることができて 読むことができました。
長かった。3月末から待っていたから 2ヶ月半近く。
10人待ちくらいだった気がするんだけど。
さて これは あさのあつこの弥勒シリーズといわれる時代劇ミステリーの最新作です。
「弥勒の月」「夜叉桜」「木練柿」と「東雲の途」と4冊出ています。
(あさのあつこ「木練柿」 ご覧ください。)
(あさのあつこ「弥勒の月」 ご覧ください。)
今 過去ブログを確認していたら「弥勒の月」中の「木練柿」のリンク先が間違っていました。
「クリックしたけど行けない!」と思われた方 大変申し訳ありません。
大体 確認するんですが たまにこういうポカをやらかします。
本題「東雲の途」。
今回も 江戸の同心 小暮信次郎と その配下の岡っ引き 伊佐治 今は商人だが暗い過去がある遠野屋清之介の3人を軸に 物語が展開します。
江戸で商人風の恰好をした男が水死体でみつかるが その死体は斬られた体の中に 瑠璃を隠していた。
この商人風の恰好をした男は 実は武士で 遠野屋清之介の過去にゆかりのある人物だった。
過去と決別しようとしていた清之介は この事件をきっかけに 己の過去と向き合うことになる。
今回は 清之介中心の話です。
小暮と伊佐治と清之介の間の なんともいえないやり取りが このシリーズの味です。
伊佐治が 心の底では恐怖を感じながらも 小暮と清之介の中にある闇に魅せられていくのに人の妙を感じます。
誰にでもきつく冷淡な小暮と 誰にでも人当たりのいい清之介。
全然似ていないように見える二人が 実は共通の根を持っている。
清之介の過去は 一作目の「弥勒の月」でも語られていますが 今回はその関係者がでてきます。
今は亡き妻「おりん」に巡り会ったことで 過去を捨て 商人として生きている清之介。
あくまで 過去の関係者たちに 商人として立ち向かう。
このシリーズは好きなのですが もしかして今回で終わりなのかなとも 思わせる終わり方です。
だとしたら 残念です。
もう少し 3人のやり取りを見ていたかった気がする。
お勧めです。
・・・が 今の中学生って 何故か時代物あんまり読まないんですよね。
だから 勤務校には このシリーズは入れていません。
年配の方が増えているにもかかわらず テレビの時代劇シリーズがどんどん終わっていくのとも無関係ではないんでしょうか。
昔 小学校から帰ると 母が水戸黄門とか見ていて 毎日一緒に見てました。
だから 時代劇に出てくるいろいろな古い道具とか言葉とかなんとなく知ってましたが
今の子は知らないんだろうなあ。
だから悪いってわけでもないんですが なんとなく寂しく思います。
知らないって言えば この本をリクエスト状況を確認した時 図書館の人が
「とううんのと は・・・」
とううんのと って・・・・確かにそうも読めますけどね。
『しののめのみち だろう!』って突っ込み入れたかったですが 入れませんでした。
こういうのって 普通なんですかね?
図書館に勤めている人には ちゃんと『しののめのみち』と読める常識を身につけていて欲しいと思うのは 勝手な思い込みなんでしょうか。
いがぐりおをクリックしていただけると嬉しいです。いつもありがとうございます。^^/
梅雨入りが早い気がしてましたが 6月9日。
関東の場合は 平年より一日遅いみたいですねえ。
ちなみに例年っていうのは 過去30年間の平均値らしく
一日の誤差ってことは ほとんど平年ってことですね。
そう言われてみれば 「6月6日に雨ザーザー降ってきて~」
の絵描き歌にあったけど これって大体平年並みなわけですね。
うーむ。絵描き歌 あなどれない。
さて あさのあつこの「東雲の途」ようやく借りることができて 読むことができました。
長かった。3月末から待っていたから 2ヶ月半近く。
10人待ちくらいだった気がするんだけど。
東雲(しののめ)の途(みち) | |
あさの あつこ | |
光文社 |
さて これは あさのあつこの弥勒シリーズといわれる時代劇ミステリーの最新作です。
「弥勒の月」「夜叉桜」「木練柿」と「東雲の途」と4冊出ています。
(あさのあつこ「木練柿」 ご覧ください。)
(あさのあつこ「弥勒の月」 ご覧ください。)
今 過去ブログを確認していたら「弥勒の月」中の「木練柿」のリンク先が間違っていました。
「クリックしたけど行けない!」と思われた方 大変申し訳ありません。
大体 確認するんですが たまにこういうポカをやらかします。
本題「東雲の途」。
今回も 江戸の同心 小暮信次郎と その配下の岡っ引き 伊佐治 今は商人だが暗い過去がある遠野屋清之介の3人を軸に 物語が展開します。
江戸で商人風の恰好をした男が水死体でみつかるが その死体は斬られた体の中に 瑠璃を隠していた。
この商人風の恰好をした男は 実は武士で 遠野屋清之介の過去にゆかりのある人物だった。
過去と決別しようとしていた清之介は この事件をきっかけに 己の過去と向き合うことになる。
今回は 清之介中心の話です。
小暮と伊佐治と清之介の間の なんともいえないやり取りが このシリーズの味です。
伊佐治が 心の底では恐怖を感じながらも 小暮と清之介の中にある闇に魅せられていくのに人の妙を感じます。
誰にでもきつく冷淡な小暮と 誰にでも人当たりのいい清之介。
全然似ていないように見える二人が 実は共通の根を持っている。
清之介の過去は 一作目の「弥勒の月」でも語られていますが 今回はその関係者がでてきます。
今は亡き妻「おりん」に巡り会ったことで 過去を捨て 商人として生きている清之介。
あくまで 過去の関係者たちに 商人として立ち向かう。
このシリーズは好きなのですが もしかして今回で終わりなのかなとも 思わせる終わり方です。
だとしたら 残念です。
もう少し 3人のやり取りを見ていたかった気がする。
お勧めです。
・・・が 今の中学生って 何故か時代物あんまり読まないんですよね。
だから 勤務校には このシリーズは入れていません。
年配の方が増えているにもかかわらず テレビの時代劇シリーズがどんどん終わっていくのとも無関係ではないんでしょうか。
昔 小学校から帰ると 母が水戸黄門とか見ていて 毎日一緒に見てました。
だから 時代劇に出てくるいろいろな古い道具とか言葉とかなんとなく知ってましたが
今の子は知らないんだろうなあ。
だから悪いってわけでもないんですが なんとなく寂しく思います。
知らないって言えば この本をリクエスト状況を確認した時 図書館の人が
「とううんのと は・・・」
とううんのと って・・・・確かにそうも読めますけどね。
『しののめのみち だろう!』って突っ込み入れたかったですが 入れませんでした。
こういうのって 普通なんですかね?
図書館に勤めている人には ちゃんと『しののめのみち』と読める常識を身につけていて欲しいと思うのは 勝手な思い込みなんでしょうか。
いがぐりおをクリックしていただけると嬉しいです。いつもありがとうございます。^^/