アリ@チャピ堂 お気楽本のブログ

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ライラシリーズ第3巻 読み終えるに一苦労 プラトンの国家論の方が面白いかな

2010-08-06 20:23:28 | ファンタジー
「琥珀の望遠鏡」 読むのがつらかったという記憶以外に印象に残るものなし


「琥珀の望遠鏡」 (ライラの冒険シリーズ 3) フィリップ・ブルマン著 大久保 寛(訳) 新潮社 2002年発行

 腰巻に「冒険ファンタジーの最高峰!現代児童文学で元も重要な作品であり、必ずや古典となる-」とあるが
これは宣伝用の文句であって実態を伴うものではない
ラルフ・イーザウの「ネシャン・サーガ」などの作品群の方がまだこの言葉がふさわしいかもしれない
腰巻も時として嘘をつく

 ロールプレイング・ゲームはリアルさを求めたり、競技者に感情移入のための材料を作ろうと
独特の世界観、宇宙像を作り提供している
才能あるゲーム作家やエンジニアが情熱をこめて作るのだからそれなりの構成力や説得力を持つものもある
しかし、それはゲームのための舞台に過ぎず
ふと目を覚まして現実に立ち返ってみれば、あまりにも隔世した世界で
その世界での体験が現実に適応できるわけではない
別世界であれ異なる神話体系であれ、記号や言語、精神的な道具が違っても
日常と交錯する普遍的な文脈があれば良いが
「琥珀の望遠鏡」はゲームの世界にいながら自ら操るコントローラーがない
ゲームと割り切った世界なのか、現実の投影としての別世界なのか
どっちつかずの印象に終始する
700ページ近い大作(第3巻だけで)なのに
何ページ分の記憶もとどめない・・
ちょっと残念な結末となってしまった
指輪物語は「王の帰還」という終結なしに物語は終わらない
ピーター・ジャクソンは一度に3話を撮ったのではなく
すべてを撮り終えなければ始まりもない物語に取りくんだのだ
ライラシリーズは、第3巻への必然性がないために、あっさりと第1話で映画も放棄されてしまった

作家の思いが先走ったのか、伝えたいことを見失ってしまったのか
残念な作品となってしまった


世界と宇宙が重すぎたのだろう 壮大な夫婦喧嘩にやや食傷

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