危険物取り扱いだったり、
命を預かるようなものでも
もしかしたら資格すらなくても
なんとかなる未来が来るのかも?
なんてことをボンヤリと考えていたsachiakiです。
あー、技術的な意味ではなく
倫理的な意味で資格が必要になるってことはあるかな。
家電だって下々の人たちが行うお仕事だったとはいえ
技術のあるものだったのが
人を使わなくても済むように進化していったものだし、
他にもさまざまな仕事といったものが
人の手を介して行われ、
その仕事の技術の高さの担保として
プロという目安ができたわけですけれど
技術は日々進歩しており、
とくに専門的な知識がなくても
それほど遜色のないものができるようになってきました。
たしかにAIの能力についてもまだ過渡期なので
それを使いこなせる人は少ないでしょうし、
技術を持っている人の方が
クライアントの癖などを知っている分
早くゴールラインを突破していくことはあると思います。
でもそれも学習能力が高いAIがガンガン吸収していって
Webに紛れ込む広告のように
その人が求めるものに近いものを出してくれるので
きっとその領域も
プロと素人の境界が縮まるんじゃないかと思います。
DTPなんて写植職人さんと編集さん、
そして印刷技能士というプロフェショナルがいなかったら
絶対に作り上げることができなかった領域だけど、
今では写植職人さんがいなくても
フォントをマシーンにインストールしてあれば
色々な技術の進化でとくに問題なく印刷物が仕上がってきます。
色のこともRGBとCMYKの違いとか
専門的な知識がなかったら難しかったことでさえ
今はそれさえも補佐してくれる技術が高まって
多くを学ばなくても良くなったりしています。
スタイルの維持だのなんだのだって
技術でどうにかいじり倒せる時代が来ましたし。
たしかにプロ意識が高く美意識のある方が
訴える力は強いと思うし
その努力の背景を聞けば畏怖の念さえも持ったりします。
でもたぶんそれもあと十年ちょっとで
変わってくるんじゃないかなぁ……。
もちろんその人の持ち味っていうのはあるし
パワー系、柔軟系、かわいい系と
個性を発揮していけると思うんですけれど、
人気のあるものは学習されていくので
全ての水準は上がっていくだろうし
均一化はしていくんじゃないかしら。
それよりも均一化していったり
高水準の技能の高さを当たり前に使えることになることへの
精神的な未熟さをどう扱うか?
の方が急務になっていくんじゃないかなぁ。
ー大いなる力には大いなる責任が伴う。
スパイダーマンに出てきて有名になった言葉だけど、
実際そうだと思う。
高い技術で行うものには
高い技術に至るまでのあれこれがある。
そこを簡略化することで
さまざまなことが忘れ去られてしまっていると思う。
プロの仕事がなくなっていくことを恐れるよりも
プロとして持っていた矜持が受け継がれないことの方を
もっと気にかけた方がいい気がします。
言葉にはされていなかった細やかなことって
けっこうあると思うんですよね。
DTPだって自分の作ったものが
どう影響していくのか、さまざまな人の手を借りて
一つのものが出来上がっていくっていうことを
実感しにくくなっていますし。
年寄りはうるさいなぁって思われるかもしれないけれど、
知識と経験があった人たちだったら
絶対にやらなかった不注意で
最悪人が死ぬってことにもなりかねない
そういうものだってあるでしょうからね。
とはいえ、プロと呼ばれるものの境目は
ますます曖昧になっていくと思うので
なにを持ってプロとするのかは
どこかで線を引かないとならないのかもね〜
なんてことを思いました。
それではまた。モイモイ
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