フィリップ・K・ディック
訳:浅倉久志
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』★★+
交換読書
映画『ブレード・ランナー』の原作
またまた意外な世界への誘い・・
あえて前情報なしでいきなり入り込んだ週末
SFは柔軟性が試される。
年齢と共に凝り固まったあたまの中のエクササイズ!
一体コレは何を指すのか?
この人物は誰?
などなど次から次へと出てくる出てくる。
日頃『エージェント・オブ・シールド』をみているから慣れたアンドロイド
だからどうしてもあっけなさを感じてしまった。
情報が入り過ぎるとせっかくの過去の名作も霞んでしまい困ったところ。
近々『ブレード・ランナー』鑑賞会♪♪
やっぱりハディソン・フォードだよなぁ~
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この短編(「人間らしさ」――訳者注)に付されたコメントで、ディックは語っている。
「わたしにとってこの作品は、人間とはなにかという疑問に対する初期の結論を述べたものである。・・・・・・あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切というと特質が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない」。
ここにデッィクのもっとも基本的な世界認識がある。ディックにおいて、人間とアンドロイドの生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。親切な存在はすべからく「人間」であり、それ以外は人間ではない。ここで彼が、この非人間的性質の比喩としてのみ、「アンドロイド」を持ち出している事を失念してはならない。
ディックは、「アンドロイド」と「人間」の形式上の区別には関心がない。コピーも原物も、親切であればすべて本物である。
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この最後の解説がよかった。